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【00年代の札幌】北海道大学構内(JR札幌駅、道庁赤レンガ庁舎傍)
北海道大学へ
北大キャンパスへ
北海道大学予科記念碑
正門すぐのところに置かれている、”北海道大学予科記念碑“です。
大学の予科とは、日本の教育制度が旧制だった時代、大学入学前に設けられていた教育課程のことです。5年制の旧制中学の4年修了以降で入学資格があった学校で、入学時の年齢や就学年数(3年間)の点ではほぼ旧制高校に等しいですが、その後特定大学への進学が保証されているという点については、現在の大学の教養課程に等しい性質を持っていました。
旧制高校の卒業生も、いわゆる”ナンバースクール”(旧制一高~八高)の卒業生については、”旧・帝国大学”への進学が原則として保障されていましたが、”予科”の場合はさらに進学先が絞り込まれる形ですね。
1918年に発足して1947年まで継続した北海道大学予科は、その間11100名の卒業生を輩出したようです。
札幌駅前付近から北大構内に入った場合、この”予科記念碑”が入ってほぼすぐのところに置かれているのですが、ここから北西方向に向かって、広大な北大キャンパスが広がっています。
大学構内に通された長い道
北大キャンパスの中に入って思ったことは、とにかく「でかい!」「広い!」ということでしょうか。どの通りがどの通りにあたるのか、銀杏並木なのかポプラ並木なのか、はたまたそのどちらでもない通りなのか、残された写真からはいまいち判別できない部分も多々あるのですが、
一つだけ「キャンパス内に伸びた長い道」の共通点をあげるとすると、並木道の向こう側が見えない、というあたりですね。予備知識として「北大はキャンパスが広い」ということは知っていたのですが、実際に見てみると中々度肝を抜かれるレベルに近いものがありました。
「広い」というよりは「すごい」という感じです。
それでということなのか、構内では自転車に乗っている大学生らしき男女をぼちぼち見かけた記憶があるのですが、現実問題として構内に自分用の自転車を持っておかないと、所属学科・学年によっては大学生活が成り立たないなんてことになってしまうのかもしれません。
少々画質が落ちますが、この点は並木道の街路樹から緑が抜け落ちた季節にしても然り。
“新緑の季節”等に比べると、どこか気持ち荒涼とした風景に見えなくもありませんが、視界の限りに果てしなく道が続いている様子がうかがえます。
また、ただ広いだけではなく、キャンパス内部には庭園然としている一画もあって、
エリアによっては、雰囲気がほぼ公園なんですよね。
“隣の芝生は青く見える”とはいいますが、この”青く見える芝”と共に広がる公園ライクなキャンパスを羨ましがらない大学生というのも、あまりいないのではないでしょうか、なんて思えてきますね。
古川記念講堂
現在の北大が、かつて東北帝国大学農科大学だった時代(明治42年)、当時の古川財閥の寄付によって作られた講堂です。
かつては林業教室として使われていたようです。
入り口からは比較的近いところ、冒頭に記した”予科記念碑”や、クラーク先生の胸像(後述)付近に位置しています。
参考:札幌市公式サイト “北海道大学古川記念講堂“、文化遺産オンライン “北海道大学古河記念講堂(旧東北帝国大学農科大学林学科教室)“
クラーク博士胸像
現在の北大の前身である札幌農学校を設立した、初代教頭のウィリアム・スミス・クラーク博士の胸像です。
”boys, be anbitious!”の名言でおなじみの先生ですね。
前記した古川記念講堂傍に位置しています。
北海道大学総合博物館
北大の総合博物館(公式サイト)は、クラーク博士の胸像等から少々北側方向に歩いたところに位置しています(入館料無料、10時~17時開館、月曜休館)。
北大の歴史を始め、医学、考古学、生物、鉱石等の標本が展示されている他、市民向けの生涯学習イベントなどもしばしば開催されているようです。
人工雪誕生の地
“人工雪誕生の地”碑は、総合博物館からさらに少々北側に進んだ、同じ道沿い左手に置かれています。
昭和11年3月12日、当時この地にあった北大理学部の常時低温研究室において、世界で初めて人工雪の結晶が誕生したことを記念して、昭和54年7月4日に設置されました。
参考:札幌市北区公式サイト “世界初の人工雪-「人工雪誕生の地」碑“、北大総合博物館公式サイト “人工雪誕生の地』の碑 -北大常時低温研究室小史-“
about 北海道大学
簡易北大史
北海道大学(公式サイト)は、1876年(明治9年)に設立された札幌農学校をルーツとする、国立大学法人・北海道大学が運営する国立大学です。
JR・地下鉄札幌駅のすぐ傍ですが、北海道庁や大通公園、狸小路商店街、すすきの、中島公園等とは反対側に位置しています。
“国立大学法人が運営する国立大学”であるとは、”国立大学法人法”が制定された平成中期(平成15年=2003年)以降、運営主体が文部科学省から各国立大学法人に移った(北大であれば、”国立大学法人・北海道大学”が、北海道大学の運営をしている)ことを意味していますが、要は研究機関としてより効率の良い運営が期待出来る体制になったということですね。
ちなみに北海道大学は、札幌農学校として設立されて以降、設立の根拠法(帝国大学令、国立大学設置法、国立大学法人法)変遷等に伴う名称変更や組織変更を幾度か繰り返しています。
元々は農学を専攻する単科学校として、当時の農商務省や北海道庁の管理下に置かれていた札幌農学校は、工学科や水産学科などを増設して帝国大学(東北帝国大学農科大学)へと昇格しますが、その後特に”北海道帝国大学”となって以降は、漸次、現在の北大の姿である総合大学へと近づいていくこととなりました。
1876年の札幌農学校設立後(現在も札幌中心部に位置する”時計台“は、農学校時代に大学の施設として作られました)、1907年に東北帝国大学農科大学(東北帝国大学の設立に伴ったものです)、1918年に北海道帝国大学、戦後1947年からは北海道大学となって、2004年以降、現在の”国立大学法人北海道大学”へと繋がります。
参考:北大公式サイト “北海道大学の概要“、北海道大学150年史編さん室 “資料でたどる北海道大学の歴史“
旧帝国大学と新制大学
はじめから総合大学だったわけではなく、社会的な要請や組織の実情、さらには根拠法の変遷等に伴って徐々に組織が整っていくという点は、北大のみならず、特に旧帝国大学(戦前に、帝国大学令に基づいて設立された大学です)といわれる国内の7大学(北大の他、東北大、東大、京大、名古屋大、大阪大、九州大)にも、ほぼ共通の部分ですね。
余談として、大学=西洋の文明を日本社会に取り込むべく作られた研究・実務・教育機関であるというあたりが、”大学令”に「国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並其ノ蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トシ兼テ人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養ニ留意スヘキモノトス」(一条)と規定されている元々の”大学”の位置づけですが、これはあくまで戦前の旧帝国大学を範とした、旧制大学に対して向けられたものです(参考:帝国大学令一条「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究スルヲ以テ目的トス」)。
やがて戦後になると学制改革と共に組織そのものがてこ入れされ、玉石が混交する大学乱造状態へと向かうことになるのですが、”乱造”にあたっては、意義付け等についても根本的な部分が修正されます。
“旧制”同様、義務感と共にある高度な実務習得や”全人格教育”を思わせるものになっているというよりは、どこか焦点の定まりきらない、漠然とした理想が掲げられた上で、個人の権利をベースとした”多様化”へと向かうことを余儀なくされていくんですね(参考:教育基本法7条「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」)。
この手の話しを巡る是非善悪については多々論争がありますが、世の中が大学に求めるものがかつて(”帝国大学”が作られた100年以上前)とは違ってきているように、大学が世の中に還元し得るものにしてもまた、然るべく姿かたちを変えて、現在に至っています。
参考:文部科学省公式サイト “大学令“”帝国大学令“”教育基本法“
広大なキャンパス
名門・北海道大学を”観光客目線”で見た場合の魅力の一つに、”広大なキャンパス”があります。
例えば「首都圏(特に都心部)でキャンパスの広い大学」の一つに、北大と同じ旧・帝国大学の東京大学がありますが、東大・本郷キャンパスの敷地面積は561351m2に及ぶということで、キャンパス所在地である文京区全体のおよそ5%を占めているようです。
より具体的には、国道17号線沿いに伸びるキャンパス南北の長辺の端付近に設置された二駅、東京メトロ丸の内線の本郷三丁目駅から、同じく東京メトロ南北線の東大前駅までは、徒歩で10分以上かかります。
南北に長いキャンパスは東西にも広がっていますということで、「17号線沿いの正門から入って銀杏並木を歩き、安田講堂前まで出た後、三四郎池を経由して医学部附属病院の敷地に作られた鉄門を抜ける」というコースを歩くと大体15分程度かかるようですが、純粋に敷地内を端から端まで東西方向に歩くだけでも、およそこの半分くらい(か、それ以上)の時間がかかるということでしょうか。
丁寧にキャンパス内観光をすると軽く2時間以上はかかるようで、少なくとも都心部では東大・本郷キャンパスの広さは突出しているのですが、北大キャンパスの場合、その本郷キャンパスの3倍以上の広さ(1776249m2)を有しています(参考:北大公式サイト “概要“)。
この時点で都心部とは次元が違うことを感じさせられたりもするのですが、
地図で見るとわかりやすい部分として、北大キャンパスの外周(約7キロ)と、札幌の市電の敷設されている距離(約9キロ)がほぼ等しいように見えます。
感覚的には、市電が循環する線路の中にキャンパスが丸ごと入るか入らないかといった感じに見えますが、普通の人が北大キャンパスの外周を普通に歩くと、大体2時間弱かかる計算ですね。
余談として、北大占有地の総敷地面積は660km2=6億6000万m2ほどありますが、札幌駅傍に位置する”いわゆる北大キャンパス”が”北大が所有する総敷地面積”に占める比率は、なんと1%にも満たないようです(参考:北海道大学公式サイト “FAQ よくある質問と回答 Q5.敷地面積は?“)。
これだけ広大なキャンパスの面積をもってしてもなお、と考えると、どこか宇宙空間での話を思わせる話に等しいものを感じなくもありません。
日本という国自体、狭いように見えてその実結構広いんですよね。
そんなことを改めて感じさせられました。