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【00年代の札幌】さっぽろテレビ塔(大通公園内、札幌市時計台傍)

00年代の札幌

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【00年代の札幌】さっぽろテレビ塔(大通公園内、札幌市時計台傍)

大通公園とテレビ塔

大通公園

about 大通公園

大通公園(公式サイト)は、札幌市の中心部に位置する、東西に細長い特殊公園(都市公園の一種です。参考:国土交通省公式サイト “都市公園の種類“)です。

現在は『国際都市札幌のシンボルとして、『花』 ・ 『つどい』 ・ 『フロンティア』 ・ 『オアシス 』 ・ 『交流』の5つのテーマと5つのゾーンで構成』(大通公園公式サイト”大通公園とは“より引用)されているという、市の中心部の顔としての一面も有していますが、元々は1871年(明治4年)、現在に比べて火災が頻発していた当時の日本にあって、札幌市の中心部に位置する火防線として作られたことをルーツに持ちます。

札幌中心部の都市計画のスタート時、碁盤の目のような区画が構想されますが、その際大通公園を境として、北側には官庁街、南側には住宅街を作ることが計画され、南北の間にある火防線として後の大通公園である火防線が作られた、という形ですね。

現在、公園内部の西端には、これも札幌名物であるテレビ塔(後述)が建っていますが、後に大通公園となる”火防線”は、当初より、現在の大通公園とは違った意味で札幌の中心的な機能を持っていました。

札幌市中心部の住所表示

大通公園が持つ”大通西1丁目から大通西12丁目まで、長さ約1.5Km(面積約7.8ha)に渡って東西に長い公園である”という、一般的な公園としてはどこか特殊な形は、”元々が火防線であったこと”と同時に、大通公園が南北の区画の基準とされたことに由来しています。

地元の人にとっては常識、観光客的にも”これが分かると目からウロコ”といった部分でもあるのですが、札幌市中心部の住所表示との間にも深い関係があります。

東西の区画の基準が創成川となっていることに対して、“南北”の区画の基準が大通公園になっているので、大通公園と創成川の位置さえわかれば、あとは住所表示で大体の位置関係がわかるという形になっているんですね。

つまり創成川より西か東か、大通公園より北か南かで住所が決められていて、かつ南北で大通公園から一区画離れるごとに〇条の数字部分が大きくなり、東西で一区画離れるごとに〇丁目の数字部分が大きくなる、という形に整えられています。

なので例えば、まさに大通公園内にあって創成川にも西側で隣接しているテレビ塔の住所は大通西1丁目、これに対して時計台の住所は北1条西2丁目、道庁赤レンガ庁舎であれば北3条西6丁目、すすきのの南側に位置する中島公園の北端付近に設けられた”中島公園前”バス停の住所は”南9条西4丁目”、といった感じに、距離が離れるほどそれぞれの数字も大きくなっていきます。

テレビ塔であれば大通公園内にあって創成川からもすぐ近くにある、時計台は大通公園北側すぐのところ、創成川からも近いところに位置している、道庁赤レンガ庁舎はそれに比べると双方からやや距離があるところに位置している、中島公園の北端部分は大通公園の南側、大通公園からは結構離れたところにあって、創成川からも結構距離がある、等々といったことが直感的に把握できます。

ちなみにJR札幌駅付近からは中央区のお隣北区に入るのですが、例えば北海道大学構内に位置する総合博物館の住所が(北区)北10条西8丁目となっているように、市内では区の境を超えて住所表記が共通となっています。

大通公園・創成川基準だと、少なくとも大通公園からは大分離れているようだ、ということが”北10条”の表記から伝わってきますが、例えば道庁(西6丁目)と総合博物館(西8丁目)の二者を比較した場合、創成川基準では同程度に遠い(道庁赤レンガと北大総合博物館は、そこまで離れていない)ことが分かります。

そんな感じで、仮に大通公園や創成川の位置が分からなかったとしても、他に何か一つの目印があるだけで、一気に色々なスポットの位置関係が把握しやすくなっていく感じですね。

火防線から大通公園へ

といったところで話しを大通公園に戻しますが、やがて(大通公園のルーツにあたる)”火防線”は、花壇として、あるいはイベント会場として多目的で利用されるようになっていくのですが、公園の一部には、現在は中島公園に移転してしまった豊平館の前庭部分がかかっていたようです。

移築・復元された豊平館に対して、豊平館と一体となっていたはずの前庭部分はそのまま埋められてしまったなど、地域一帯の整備・改修を進めていく上では残念な一面もあったようですが、”火防線”から多目的スペースとなった一帯は、その後明治42年=1909年には本格的な公園とすべく整備が開始され、やがて1911年に”大通公園”が完成しました。

現在は、さっぽろライラックまつり(公式サイト)、YOSAKOIソーラン祭り(公式サイト)、さっぽろ雪まつり(公式サイト)、さっぽろホワイトイルミネーション(公式サイト)等々、札幌を代表するイベントの会場等としても親しまれています。

参考:大通公園公式サイト大通公園の歴史と植物“他

さっぽろテレビ塔

about テレビ塔

さっぽろテレビ塔(公式サイト)は、大通公園の西端に位置する鉄塔(電波塔)です。

1956年(昭和31年)、NHKがテレビ放送のための電波を送信する塔として始まりました。

翌1957年には展望台がオープンし、1959年(昭和34年)からはSTV(札幌テレビ放送)の開局に伴ってSTVの電波送信も開始されますが、1969年(昭和44年)にそれまでテレビ塔を使って送信していた電波が全て手稲山の山頂に位置する電波塔から送信されることになると、以降のテレビ塔は大通公園内部に位置する観光スポットとなって、今現在に至ります。

現在も解放されている展望台は地上約90mの高さにあって、札幌市内中心部を一望することが出来るスポットとなっています。

参考:札幌市公式サイト “さっぽろテレビ塔“”ていね通信2007年2月号“、北海道電波広告資料館北海道における民放開局の変遷

さっぽろテレビ塔・展望台へ

テレビ塔のほぼ真下にあたる、大通公園1丁目の様子です。人もテーブルもかなり小さく、早速地上90メートルの高さを実感できるのですが、

その先では、大通公園がさらに奥に伸びている様子が視界に入ってきて(手前が西3丁目、奥が西4丁目の噴水です)、

突き当りには、札幌市資料館(旧札幌控訴院。公式サイト)がかすかに確認できます。

大通公園の周辺に適度に高いビルが並んでいることによって、どこか気持ち落ち着くような、反対にとんでもなく高いところに浮いているような、なんとも不思議な感覚と共によりその高さが実感できるのですが、

さらに奥に目を向けると、北海道神宮や動物園などがある円山公園の先に、大倉山のスキージャンプ場公式サイト)が確認できます。

札幌の市街地を普通に歩いていると”都会そのもの”といった印象を受けるのですが、その実すぐ隣には自然に恵まれたエリアがあったりもします。

そのような札幌の個性・魅力に目を向けた場合、テレビ塔の展望台は、自然の中に作られた人工の街・札幌中心部を実感できるスポットの一つとなってくれます。

アクセス(さっぽろテレビ塔)

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