元町・中華街エリア

【横浜街歩き/元町中華街エリア】元町公園

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【横浜街歩き/元町中華街エリア】元町公園

元町側入り口付近「ジェラール水屋敷の貯水槽」

元町商店街側入り口付近から。写真つきあたりが元町公園の中央の入り口、左側は「ジェラール水屋敷の貯水槽」です。

開港期の元町公園一帯は、フランス人・アルフレッド・ジェラールのレンガ・西洋瓦工場が作られていた地であり、船舶への給水を行っていた貯水槽が置かれた地でもありました。

やや歴史ミステリっぽい話し(?)として、このアルフレッド・ジェラールさん、フランスでパン屋さんの子供として生まれたこと、来日後に横浜山手における給水業やレンガ造りなどで多大な功績を残したことや、日本国内で美術品の収集を積極的に行っていたことなどは周知の事実なのですが、そもそも彼は一体何者であるのか、どんな目的で来日したのか、という肝心な部分が謎に包まれた人物でもあるようです(参:もうひとつの「遺跡」-横濱外国人居留地「地番」の研究)。

判明しているのはおよその業績だけであるという点は、同じ居留民同士の比較をするにしても、他の”有名人”達との顕著な違いであるといえるところです。

無難な解釈をするのであれば、国に一芸(実業家としての手腕)を買われた一民間人がその能力を見込まれて来日、日本でも「助っ人外国人」的な活躍をしたが、公人でない分記録が雑に残された節があったといったところでしょうか。

結局横浜ではレンガをやり、瓦をやり、給水をやり、余暇で美術品を収集し、さらには一説によると肉屋さんまでやっていたらしいですが、能力を伴ったバイタリティー、詳細不明とはいえ恐らく母国のフランスでも元々相当出来る人だったのでしょう。

ちなみにジェラールの水屋敷から給水された山手の湧き水はかなり良質の水だったようで、ミナト・ヨコハマの知名度を世界的なものにすることにも一役買っていたようです。

そんな話を聞いてしまえばぜひとも試飲したくなってくるのが人情というものですが、現状では付近の湧き水同様、飲み水としても使用できないとのこと。

余談ですが、当時の横浜山手にはまだ豊かな自然が残されていたという様子は、ビヤザケ通り沿いにある北方町の「ビール井戸」や、横浜地方気象台敷地内にある井戸跡にも、遺構という形でその足跡が残されています。

元町公園入り口付近にある「水屋敷の貯水槽跡」もかつてを偲べる遺構の一つですが、今でもその上を歩けるようになっていて、

中では鯉が泳いでいます。

元町公園入口をまたぎ、キーワードが「湧き水」「ジェラール」といった一帯が続きます。

 

元町公園入口~プール付近

ジェラール水屋敷・貯水槽跡のすぐ傍には、元町公園・元町商店街側の正面入り口があります。

この写真の奥方向(右上)には額坂につながっていく坂があり、手前(左側)奥方面には貝殻坂につながる坂道がありますが、それぞれ、エリスマン邸側と外国人墓地側から元町公園に入ることが出来ます。

元々はレンガ工場・給水場だった一帯は、やがて明治の終わりから大正期にかけて映画の撮影所や給水工場となっていきますが、湧き水の賜物で、給水事業は経営者を変えてそのまま続きます。

大きな転機は、ここでもやはり関東大震災にあったようで、震災後数年を経過した昭和初め(1930年=昭和5年)に横浜市所有の公園として開園し、現在に至ります。

公園内少し入ったところ(プール入り口付近)から。

元町方面に向かって公園内左側にある、「塗装業発祥の地」の碑。土地柄から「~発祥地」「日本初の~」が売りになるのも開港地の特徴ですが、横浜もそのご多分に漏れず、港の見える丘公園、山手公園、中華街、山下町界隈、馬車道界隈、そして元町公園と、かつての居留地や開港場とその付近の跡地には、多くの「初物」の跡があります。

中央にある「せせらぎ広場」。中央にあるブラフ講のような溝型のオブジェは、かつての湧き水の経路をイメージしたもので、中央を流れる水の下に「ジェラールの水屋敷」に向かう水が流れているようです。直進方向はジェラール水屋敷の貯水槽や、元町商店街です。

写真の向かって右側には、噴水のような何か(?)が据え置かれた一帯があります。

現「元町公園水泳場事務所」付近がまさにジェラールの工場の中心地だったようで、

「工場では結構いろんな瓦が作られていた」ということがプレートで説明されています。

プールの裏手には弓道場がありますが、元町公園はこの辺りから上に向かって緑の多い一帯に入っていきます。

 

自働電話・山手234番館前付近へ

元町公園のプール入り口付近から山手本通りへは、およそ三か所を目指す形で公園の斜面を上る坂道が通されています。

一か所目は山手資料館の前付近、もう一つはおよそ白い電話ボックスの周辺、残る一つがエリスマン邸の裏側から横付近です。

それぞれ貝殻坂、公園内の坂道、額坂が分かりやすい指針となりますが、この三つのルートはそれぞれが繋がりあっているので、丘の斜面にあたる部分を自由に往来できます。

公園中央付近から山手本通りへと向かっている丘の斜面に通された階段坂。

元町公園内のプールや弓道場より上部は、遊歩道が通された緑地を歩いているという雰囲気が強い一帯です。

電話ボックス(自働電話)や横浜山手聖公会、山手234番館前へ。

元町公園前名物・「白い電話ボックス」は、東京・横浜間の電話開通100周年を記念して、時あたかも「ケータイ」前夜のポケベル時代、平成2年(1990年)に作られたものです。

電話ボックス付近は桜の季節の華やかさが目を惹きますが、新緑の季節は緑がまぶしい一帯に、晩秋から冬の初めにかけては紅葉が鮮やかな一帯ともなります。

 

山手80番館遺構付近

元町公園すぐ横、ベーリックホールとの間に通された、額坂の上り入り口付近から。

額坂と並走するルートでは、夏季以外であれば汚れた水が張られているプールを横目に見ながら、エリスマン邸裏に位置するかつての遺構跡を通過し、山手本通りへ抜けます。

額坂入り口付近にある元町公園の入り口のすぐ傍には、かつての居留地”The Bluff”の排水溝である「ブラフ講」が残されています。

この一帯はかつて谷戸(丘陵地周辺の谷状地)だったため、安全で快適な暮らしのためには、雨水が谷戸に流れ込まないような工夫が必要でした。

そこで、フランス人・ジェラールさんによってブラフ講が作られたとされています。

一帯はジェラールの工場跡地であると同時にかつての居留地の中心部でもありました。

それを物語っているのが、かつての元町百段や、現在エリスマン邸の裏にある山手80番館の遺構です。

写真右奥に見えるエリスマン邸は平成のはじめ(平成2年=1990年)にこの地に移築され、以降公園の名物となりましたが、かつてこの地には山手80番館がありました。

残念ながら関東大震災の発生によって、1923年(大正12年)9月1日以降、横浜山手も随分と姿を変えてしまったようです。

エリスマン邸の入り口横には、山手の西洋館や山手地区の案内が書かれたプレートが壁に埋め込まれています。

元町公園の山手本通り側入り口付近から、エリスマン邸。

山手本通りの向こう側、左手にあるのは横浜雙葉学園の校門ですが、横浜雙葉の敷地横をまっすぐ進むとビヤザケ通りに抜けることが出来ます。

 

 

公園内施設・開園情報

施設名 開園日・開園時間 入場料他
元町公園プール 7月14日~9月9日

9月3日~9月9日:9:00~17:00
それ以外:9:00~21:00

デイタイム(9:00~17:00):1時間200円
ナイター(17:00~21:00):1時間300円
元町公園弓道場 年末年始の他毎月第三月曜日休場
それ以外は8:45~17:30開場
個人・団体利用可、個人は1時間130円
希望者に初心者講習あり。10時間5000円。
詳細は公式サイトにて。

 

アクセス

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