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【みなとみらい線沿線地名雑学】”無番地”と面白住所、通称名 -通称名と地域名-
通称名・地域名等と住所
日本大通りと”日本大通”、妙香寺と”妙香寺台”、”本牧ふ頭”
日本大通りと妙香寺
“横浜港はじまりの地”である現在の象の鼻地区に隣接して作られた日本大通りは、通りの名前は”日本大通り”、住所は”日本大通“です。
山手地区に隣接し、その境内の土地を分け与える形で山手公園が作られたという妙香寺(公式サイト)の住所は、中区”妙香寺台“です。
双方とも、エリア(スポット)名がほぼそのまま正式な町名となっていますが、開港期以来の歴史を持つ”日本大通り”に対して、妙香寺には平安時代以来の由緒があって、同じ中区内でも鎌倉時代以来の由緒を持つ本牧神社(公式サイト)を上回る歴史を有しています。
単独町名
妙香寺台は日本大通や山手町、山下町などと同じく単独町名(〇丁目という区分を持たない町の名)ですが、こと”単独町名”ということでは、三渓園(公式サイト)がある本牧三之谷、かつて本牧神社があった本牧十二天、現在本牧神社がある本牧和田、旧マイカル本牧や本牧山頂公園がある本牧原etc、本牧町(1丁目、2丁目)以外の本牧エリアが全て単独町名です。
“比較的単独町名が多い”というあたりは、みなとみらい線沿線の中でも、特に元町中華街界隈の特徴の一つに挙げられます。
ふ頭の住所 -山下ふ頭と本牧ふ頭-
最近だと”GUNDAM FACTORY YOKOHAMA”(公式サイト)でおなじみ山下ふ頭は山下町にありますが、横浜港シンボルタワー(公式サイト)や本牧海づり施設(公式サイト)等があって、A~Dまでの4つの突堤で構成されている本牧ふ頭については、A突堤の一部とその他の突堤で住所が分かれています。
山下ふ頭の隣に位置する本牧ふ頭のA突堤の陸側は新山下、A突堤の海側~D突堤までの住所が全て”本牧ふ頭“で、ふ頭の名前がそのまま住所となっています。
ちなみに本牧ふ頭以外の本牧のふ頭部分の町名(錦町、かもめ町、南本牧、豊浦町、千鳥町)も、全て単独町名です。
中区港町と住吉町、相生町、常磐町、太田町、弁天町、南仲通、本町
“中区港町”や”中区住吉町”、あるいは”中区相生町”等々と書かれた場合。
果してこれだけでピンと来る人がどれだけいるでしょうか、なんてことを思ってしまわなくもないのですが、それぞれ、中区港町は通称”関内”エリアの中心部(JR関内駅の住所)、中区住吉町他は”馬車道”が通されたエリアの住所(いわゆる馬車道エリア、馬車道地区の中心部)です。
“関内エリア”とは、横浜開港当時の不穏な国内情勢のあおりを受ける形で作られた吉田橋関門より港側を示す通称名(そのまま、現在のJR関内駅周辺を指す通称名となりました)、“馬車道エリア”とは、馬車の発着場として栄えたことに由緒を持つ現在の馬車道商店街にリンクさせる形で地域を捉える場合の通称名(?)に当たります。
馬車道商店街は”馬車道”と呼ばれる道沿いに作られていますが、この周辺をエリアで捉える場合に”馬車道エリア”となります。
特に長い道だというわけでもない馬車道が通過する”町”が複数に渡るのは、横に細長い幾つかの町に対して、馬車道が縦に通されていることに理由がありますが、このエリアの町名は、原則として馬車道に直交する通りの名前に従ってつけられています(ex.太田町には太田町通りが通り、相生町には相生町通りが通っている、等々)。
これらのことから明白であるように、関内、および馬車道は、例えば日本大通り(日本大通)が現在も正式な住所名として残ったこととは対照的に、双方とも通称名、あるいは道の名称(さらにはそれらに由来するエリア名)にとどまることとなりました。
なぜそうなったのかは定かではありませんが、”関内”は後に関所が撤廃されたことに、”馬車道”は後に交通手段が鉄道にとって代わられた(参考:馬車・人力車から鉄道へ)ことに、それぞれ理由があるのかもしれません。