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【元町商店街・横浜中華街間の橋】前田橋(元町商店街中央部付近、中華街朱雀門傍)
前田橋
元町の百段通り沿いから前田橋を見ると、その向こうに横浜中華街(公式サイト)の朱雀門が見えています。百段通りはおよそ元町商店街(公式サイト)の中央付近に(元町商店街や元町仲通りに直交するように)通された道で、かつては山手本通りと元町を結んでいた階段坂である”元町百段“へと通じていました。
現在、元町商店街と百段通りが直行する交差点には”CHARMY”(公式サイト)という元町発祥のジュエリーのお店がありますが、建物の柱にはカリヨン時計が設置されていて、定時になると組み鐘がメロディを奏でてくれるという、どこか”らしさ”を感じさせてくれる一帯となっています。
上下二車線の車道と、その両サイドに歩道が用意された橋では、
左右どちらの歩道にも、タイルが張られています。
元町商店街も、その両サイドに通された元町仲通り・元町河岸通りも、いずれも一車線だけが通された一方通行の狭い道なのですが、かといって付近の交通量が少ないわけではありません。結果、前田橋上には昼夜を問わず結構な台数の車が走ることになるので、車道と歩道の間でやや物々しげに見える防護壁にしても割と役割相応、その分歩道の舗装とタイルが落ち着きを与えてくれますが、
なだらかな弓なりに作られた橋上を元町側から進んでいくと、すぐのところに中華街・南門シルクロードの朱雀門が位置しています。
「今をさかのぼること160年以上前、そもそも初代のこの橋がなぜ作られたのか」を思う時には様々な情報が頭の中を行き来することになりますが(一言で言うと、”山下町の外国人居留地・居留民を保護するために作られた堀”と、現在の元町・山手地区とを結ぶ橋として架けられました。参考:かつての山下・元町地区)、その意味では中々に歴史の深みを感じることが出来るスポットの一つかもしれません。
“今現在の常識をベースにすると、想像することが難しい過去があった”ということは、反対に当時の常識の中で当時を生きた人にとっては、まさに”今現在の横浜・元町”を想像することは不可能に近い事だったでしょう。
“横浜史”に的を絞ったとしても更に話が膨らんだりもする部分ではありますが、そんな方向に思いを巡らすこともまた、史跡巡りの楽しみの一つですよね。
渡りきると、欄干には橋の名前が書いてあります。向かって右側に漢字表記、左側に平仮名表記です。
橋の横の部分にも、同じく橋の名前が書いてあります。
朱雀門に向かって左側には市場通り橋が、
向かって右側には代官橋が、それぞれ架けられています。
追伸として、欄干の傍には、堀川上に通された首都高狩場線の高架橋のデザインが評価されたことが記されていたり、
よこはま都心部水上交通実行委員会(横浜市公式サイト “水上交通や川の利活用の促進に関する社会実験“)による前田橋の案内なども置かれています。