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横浜史と赤レンガ倉庫

新港地区

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横浜史と赤レンガ倉庫

横浜の歴史と赤レンガ倉庫

赤レンガ倉庫のはじまり

大正6年=1917年、開港後の貿易規模拡大に伴う形で沿岸の整備が進んだ横浜港では、明治の半ば過ぎ(明治32年=1899年)に着工した新港ふ頭が竣工しますが、その間明治44年=1911年には赤レンガの二号館が竣工し、その2年後の大正2年=1913年には赤レンガ倉庫の一号館が竣工しました。

横浜開港(安政6年=1859年)から、約半世紀後の出来事です。

貿易港・横浜の新しい中心となった新港ふ頭内でも、『日本最初の荷物用エレベーターや消火水栓(スプリンクラー)、防火扉などを備えた、日本が世界に誇る最新鋭の』(赤レンガ公式サイトより引用)、ふ頭を代表する倉庫が赤レンガ倉庫だったようです。

 

被災と暗転、老朽化から終焉へ

しかし不運なことに、ここからしばらく横浜は冬の時代に突入します。

新港ふ頭竣工(大正6年=1917年)のわずか6年後の惨事である関東大震災被災(大正12年=1923年)と、さらには第二次世界大戦末期の戦災という、20世紀前半の首都圏にとっての二つの衝撃を、立て続けに受けてしまうことになるんですね。

被災、復興、そしてまた被災、さらにその後のGHQによる接収と続いた赤レンガ倉庫の冬の時代は、昭和31年(=1956年)のGHQによる接収解除明けまで継続します。

日本経済、さらには日本社会の勢いが右肩上がりだった戦後の高度成長期、やがて赤レンガ倉庫では施設の老朽化が言われるようになり、さらには貿易港としての横浜港の中心も、新山下・本牧ふ頭などへと移動を始めます。

残念ながら、赤レンガ倉庫が横浜港で現役倉庫としての役割を終える時は刻一刻と近づいて行き、昭和が終わった1989年(昭和64年=平成元年)には”倉庫”としての役割を終えることになりました。80年に及ぶ、輝かしくも数奇な歴史を一旦閉じることとなったのですが、その直後から見るも無残な廃墟化が進みます。

壁一面落書きだらけという、悲惨な状態になっていくんですね。

 

荒廃からの再生

そんな”赤レンガ”が目に見える形で再生への軌道に乗り始めたのは、いわゆる”失われた20年”と呼ばれた時代真っ只中の平成中期、西暦2000年前後のことです。

サッカーW杯が日本開催され、横浜会場で決勝が行われた2002年に、新生・赤レンガ倉庫がリニューアルオープンしました。

ここから、今につながる”赤レンガ”の成長が始まります。

倉庫としての赤レンガ終焉(1989年)から、新生赤レンガ倉庫開業(2002年)直後にかけての時代はまた、みなとみらい21計画が表立って成果を上げ始めた時代でもありましたということで、赤レンガ倉庫の歴史は、振り返れば激動の横浜の歴史とほぼ一体となっています。

 

アクセス

あかいくつ号に”赤レンガ倉庫・マリン&ウォーク”バス停(往路)、”赤レンガ倉庫前”バス停(復路)が、ベイサイドブルー(横浜駅行き)に赤レンガ倉庫前バス停がある他、みなとみらい線の日本大通り駅からも馬車道駅からも徒歩圏内です。

 

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