【横浜観光FAQ】おすすめ赤レンガ倉庫観光と、赤レンガ倉庫の歴史

新港地区

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【横浜観光FAQ】おすすめ赤レンガ倉庫観光と、赤レンガ倉庫の歴史

赤レンガ倉庫、ロケーションとおすすめの楽しみ方

元々赤レンガ倉庫一帯(赤レンガパーク等)は、隣接するエリアに汽車道や運河パーク、新港中央広場等があり(馬車道駅方面)、象の鼻パーク山下臨港線プロムナードを通じて日本大通り山下公園エリアともつながっている(日本大通り駅方面)というように、単純な街歩きをするにしても抜群のロケーションに恵まれているのですが、イチ押ししておきたいのは、赤レンガ倉庫を中心とした一帯で開催されるイベント(赤レンガ倉庫公式サイトイベントカレンダー“)です。

赤レンガ倉庫界隈の賑わいを見ている分には、目下ここが訪問者にとって一番のお楽しみ要素になっているという面が、とても強い状態にあると思うんですね(参考:【ちょっと懐かしい沿線風景】全国ふるさとフェア@赤レンガパーク(2015年))。

同じ新港ふ頭内には、赤レンガ倉庫以外にもワールドポーターズマリンウォーク万葉倶楽部ハンマーヘッドDREAM DOORなど(リンクは全て公式サイト)、様々な商業施設が用意されているので、イベント抜きでもお楽しみ要素は豊富なのですが、そこにとどめの一撃として加わるのが赤レンガ倉庫で開催される各種のイベントです。

ということで、以下、そんな赤レンガ倉庫が持つ歴史についてまとめてみました。

 

横浜の歴史と赤レンガ倉庫

赤レンガ倉庫のはじまり

横浜港では、開港後の貿易規模拡大に伴う形で沿岸の整備が進みますが、大正6年=1917年には、明治の半ば過ぎ(明治32年=1899年)に着工した、新港ふ頭が竣工します。

“赤レンガ”の始まりは、新港ふ頭造成工事着工に続く明治44年=1911年の二号館竣工と、その2年後の大正2年=1913年の一号館竣工にありますが、これは新港ふ頭造成工事着工から、それぞれ12年後(二号館)、14年後(一号館)の出来事です。

貿易港・横浜の新しい中心となった新港ふ頭内でも、『日本最初の荷物用エレベーターや消火水栓(スプリンクラー)、防火扉などを備えた、日本が世界に誇る最新鋭の』(赤レンガ公式サイトより引用)、ふ頭を代表する倉庫が赤レンガ倉庫だったようです。

「後からできた、小さい方の赤レンガ倉庫」=一号館竣工のさらに4年後には新港ふ頭自体が竣工しますが、横浜開港(安政6年=1859年)の約半世紀後、横浜港は新しい時代に入ることとなったわけです。

 

被災と暗転、赤レンガ倉庫の老朽化

しかし不運なことに、ここからしばらく横浜は冬の時代に突入します(参考:【街歩きと横浜史】港町・横浜の始まりと発展)。

新港ふ頭竣工(大正6年=1917年)のわずか6年後の惨事である関東大震災被災(大正12年=1923年)と、さらには第二次世界大戦末期の戦災という、20世紀前半の首都圏にとっての二つの衝撃を、立て続けに受けてしまうことになるんですね。

被災、復興、そしてまた被災、さらにその後のGHQによる接収と続いた赤レンガ倉庫の冬の時代は、昭和31年(=1956年)のGHQによる接収解除明けまで継続します。

この時代は、赤レンガ倉庫だけがどうだという以前に、横浜中心部自体が壊滅的な打撃を受けた直後の時代であり、かつての港町の隆盛が『諦め的な侘しさ』と共に語られた時代でした(参考:田村明『都市ヨコハマ物語』)。

なので赤レンガ倉庫にしてもまた、そのようなシーンと同列に語られたとしても不思議はないところですね。

日本経済、さらには日本社会の勢いが右肩上がりだった戦後の高度成長期、やがて赤レンガ倉庫では施設の老朽化が言われるようになり、さらには貿易港としての横浜港の中心も、新山下・本牧ふ頭などへと移動を始めます。

残念ながら、赤レンガ倉庫が横浜港で現役倉庫としての役割を終える時は、刻一刻と近づいていきました。

 

赤レンガ倉庫の終焉

昭和が終わった1989年(昭和64年=平成元年)、赤レンガ倉庫も「倉庫」としての役割を終えることになりました。

80年に及ぶ、輝かしくも数奇な歴史を一旦閉じることとなったのですが、その直後から見るも無残な廃墟化が進みます。

壁一面落書きだらけという、悲惨な状態になっていくんですね。

昭和の終わりから平成の初めにかけてといえば、社会全体に訳の分からない勢いが満ちていたという、バブル景気の時代です。昼も夜もなく常時ハイテンションだった街の中にあって、どこか蔑まれつつ朽ちていくようにも見えた「かつて」という明暗のコントラストは、当時のギラついた世の中が抱えていた闇を暗示しているように、今からすると思えて来たりもしますね。

 

荒廃からの再生

そんな赤レンガが目に見える形で再生への軌道に乗り始めたのは、皮肉にも(?)、いわゆる「失われた20年」と呼ばれた時代真っ只中の平成中期、西暦2000年前後のことです。

サッカーW杯が日本開催され、横浜会場で決勝が行われた2002年に、新生・赤レンガ倉庫がリニューアルオープンしました。

ここから、今につながる”赤レンガ”の成長が始まります。

倉庫としての赤レンガ終焉から、新生赤レンガ倉庫開業直後にかけての時代(80年代末~00年代前半)はまた、みなとみらい21計画が表立って成果を上げ始めた時代でもありましたということで、赤レンガ倉庫の歴史は、振り返れば激動の横浜の歴史とほぼ一体となっています。

「これから」が期待されるいわゆるみなとみらい地区に対して、特に赤レンガ倉庫がある新港ふ頭エリアでは、「これまでの横浜」=歴史的な面が重視された都市再開発が基本線とされています。

 

アクセス

あかいくつ号に”赤レンガ倉庫・マリン&ウォーク”バス停(往路)、”赤レンガ倉庫前”バス停(復路)が、ベイサイドブルー(横浜駅行き)に赤レンガ倉庫前バス停がある他、みなとみらい線・日本大通り駅からも馬車道駅からも徒歩圏内です。

 

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