【横浜街歩き/元町中華街エリア】山手公園

元町・中華街エリア

この記事を読むのに必要な時間は約 3 分20秒です。

【横浜街歩き/元町中華街エリア】山手公園

1870年=明治3年に日本初の洋式公園(=洋式公共庭園。運動が出来る洋式公園としては、1868年に造られた神戸の東遊園地が日本初。遊園地=公園の意)として作られ、日本で初めてテニスがプレイされた公園が山手公園です。

公園が作られたきっかけは、生麦事件(1862年発生)に端を発する当時の日本国内の不安定な政情にありました。

外国人居留民にとって居心地が悪かった当時の日本社会にあって、それでも憩いの場を欲し続けた彼らの長年の念願が実現したという形で、妙香寺の敷地の一部を利用(借地)する形で、彼らの出費によって作られます。

外国人側に「パブリックガーデン」、日本人側に「山手公園」と呼ばれた外国人専用の公園は、明治11年、日本初のテニスコートが作られ、テニスがプレイ出来る公園となった後、関東大震災後の1929年(昭和4年)より一般開放され、日本人も使用できる公園となりました(参考:文化遺産オンライン『山手公園』、文化庁『国指定文化財等データベース・山手公園』)。

ほぼ同時期(1875年)に作られた横浜公園との違いは、横浜公園が「彼我公園」と呼ばれ、日本人・外国人共用の公園とされたことに対して、山手公園は外国人居留民専用の公園として造られた点にあります。

2004年3月には国の名勝に指定され、2009年2月には横浜公園、根岸森林公園と共に”旧居留地を源として各地に普及した近代娯楽産業発展の歩みを物語る”近代化産業遺産の認定(近代化産業遺産群・続33(ストーリー19、P66~68)を受けました

現在は6面のテニスコートが設置されている他、芝生スペースや記念館などが設置されていて、誰でもくつろげる公園となっています(駐車場あり、20台駐車可)。

公園坂から上ってきた場合、あるいは山手本通りから下ってきた場合の、山手公園の入り口付近。

入り口付近には「日本庭球発祥の地」が置かれています。

「庭球発祥の地」石碑すぐ傍には、テニスコートへの入り口があります。

 

横浜山手・テニス発祥記念館

入り口を入ってまっすぐ進むと、道沿い右手に横浜山手・テニス発祥記念館があります。

1876年(明治9年)、山手公園に作られた2面のテニスコートにおいて、日本で初めてテニスがプレイされました。このことを記念して、1998年(平成10年)10月にオープンしたのが横浜山手・テニス発祥記念館です。

「記念館」は旧山手68番館へ向かう途中、テニスコートに囲まれる形で作られています。

上皇・上皇后両陛下や今上天皇陛下、さらに秋篠宮殿下夫妻も、山手のテニスコートでプレイをされたことがあるようです(テニス発祥記念館内の展示より)。

テニスコートに隣接するように作られたテニス発祥記念館は、新緑の季節には緑で囲まれることも特徴です。

 

旧山手68番館

さらに直進したところにおかれているのが、山手公園設立120周年記念の碑。ポケモンGOでは、最初期からポケストップになっていた碑石としても有名(?)です。

旧山手68番館は、石碑の向かい、左奥方向にある西洋館です。1934年=昭和9年に建てられた外国人向けの貸家が、1986年=昭和61年に山手公園に移築されました。

現在は、テニスのクラブハウス兼事務所として使用されています。

毎年秋のハロウィンや冬のクリスマスでは、旧山手68番館は他西洋館と共に飾りつけされ、訪問者を楽しませています。

 

公園内の様子

入り口から始まるテニスコートエリアの横

特に新緑の季節は公園が緑の中にあるといった感じの状態で、テニスコートが作られていない部分には、芝生の広場やガゼボも用意されています。

芝生エリアの横、「テニス発祥記念館」の裏手にはテニスコートがあるのですが、その入り口付近には国指定名勝の碑が置かれています。テニスコートの向こうに見える建物が、テニス発祥記念館です。

テニスコートの真横は芝生の公園。

公園内からは本牧通り方面へ抜けることもできますが、公園を出て山手本通り方面へ進むこともできます。

 

 

アクセス

グーグルマップの基本的な使用法についてはこちら

公園内案内図

タイトルとURLをコピーしました