【街歩きと横浜史】日刊新聞発祥の地

馬車道商店街界隈

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【街歩きと横浜史】日刊新聞発祥の地

日刊新聞発祥の碑

“日刊新聞発祥”と”日本国新聞発祥”

馬車道駅の1b(アイランドタワー方面)出口傍に、”日刊新聞発祥の地”を記念する碑が置かれています。

中華街の関帝廟通りには”日本国新聞発祥の地“碑がありますが、これは日本国内で”新聞”と呼ばれるメディア(1864年、海外新聞)が初めて発行されたことを記念した碑です。

これに対して日刊新聞発祥碑は、日本の国内におよそ新聞と言われるメディアが登場した後、そのメディアが初めて日刊となった(1871年、横浜毎日新聞)ことを記念したものです。

 

横浜毎日新聞と、新聞各紙

横浜毎日新聞は、現在の毎日新聞とは別の媒体です。

東京に移転後、「東京横浜毎日新聞」となったり、「毎日新聞」となったり、「東京毎日新聞」となったり、その完全消滅に至るまで、常に社名に「毎日」がついて回っていたため、紛らわしいといえばとても紛らわしいのですが、既存の新聞社の中での系列・系統をいうのであれば、横浜毎日新聞は現在の読売新聞に縁を持つ新聞社です。

やがて「経営難から報知新聞社に買収された時期を持った」とも言われているためですが、最終的には帝都日日新聞社に買収され、「帝都」の廃刊と共に消滅しました。

ちなみに、報知新聞社は1942年(昭和17年)に読売新聞と合併し、後に現在のスポーツ報知を発行する新聞社となります。

どうしても”スポーツ報知”のイメージが強いために紛らわしい部分もあるのですが、そもそも報知新聞は、創刊にあたっては前島密(日本郵便公式サイト 前島密年譜)が企画にかかわっていて、創刊時の新聞名が”郵便報知新聞(報知新聞社小史)”だったという、硬派な新聞でもあります。

在りし日の横浜毎日も、かつての報知新聞も、元々は知識階層に向けた政論新聞=大(おお)新聞として発行されていました。

「大新聞」とは、紙面の大きさが大きく、政論等硬派な内容を扱っていた新聞の事を言います。

ちなみに「横浜毎日」に名前が良く似た現在の毎日新聞(昭和の時代、不祥事による部数減などを原因として一度債務超過に陥っています)のルーツは、東京日日(にちにち)新聞という、硬派で鳴らした政論新聞です。

かつての報知新聞、横浜毎日新聞と同じく、大新聞と呼ばれていました。

一人の卑劣漢の愚行によって致命的な部数減を経験した後、平成に入って改めて”変態毎日“などとその愚行が揶揄されることとなった、他にも不祥事ネタには事欠かないという現在の三流メディア・毎日新聞には「日日新聞」時代の硬派な面影は微塵も残されていませんが、毎日の「ご先祖様」にあたる東京日日新聞は、実は日本を代表する大新聞の一つだったんですね。

参考までに、現在はどちらかというと”知識人向け総合新聞”のイメージが強い読売新聞は、その昔は代表的な大衆紙で、小(こ)新聞と呼ばれていました。

ポジション的には「政論で正論ぶちかましてナンボ」ではなく、大新聞に比べて小さい紙面で発行されていた、「売れればOK」という新聞だったんですね。

“クオリティペーパー(高級紙)”を自称しているにも関わらず、その独特な論調が多々揶揄されると同時に深刻な部数減に直面して久しい朝日新聞も、明治・大正期には当時の読売と同じく大衆紙の代表格で、小新聞に区分される新聞でした。

時代と共に様々な新聞が出ては消え、あるいはメディアとしての在り方を変化させつつ今に至っているわけですが、その元祖としてのルーツの一つがここ、馬車道駅傍にあります。

 

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