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【横浜山手の坂道】桜道(本牧通りから山手本通りへ)

横浜山手の坂道

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【横浜山手の坂道】桜道(本牧通りから山手本通りへ)

桜道へ

山手公園と桜道

本牧通り傍から山手本通りに向かって延びた坂道が、桜道です。

下側の起点は山手公園の入り口傍にありますが、付近の交差点一帯は事故が起こりやすいところでもあるようで、よく警察が一時停止やシートベルト、スマホの「ながら運転」の取り締まりをやっていたりします。

車を運転する場合は道路状況及び交通取り締まりという、二重の意味で要注意な一帯ですね。

車道は上り方向のみに進行できる一方通行路ですが、

上りはじめの部分では、桜道は山手公園の横を並走します。

近代下水道記念碑と”ブラフ溝”

桜道の起点から少し上ったところにも山手公園への入り口があるのですが、

階段坂右手にある石碑は、近代下水道記念碑です。

「横浜市の下水管の総延長が、平成7年11月に1万kmに達したこと」を記念しての石碑ですが、外国人居留地時代以来の近代下水道との縁などから、ここに置かれています。

石碑の左側真横に造られた階段坂との間にあるコンクリート製の溝は、ブラフ講と呼ばれる、開港当時から現在に至るまで使われ続けている排水溝の一つに当たります。元町公園のエリスマン邸裏手、山手80番館遺構付近(額坂の上り起点付近)には、ブラフ講の石碑が置かれています。

階段坂は、まっすぐ山手公園へとつながっています。

二つの山手隧道(トンネル)と桜道橋

第二山手隧道/山手隧道

桜道沿いの風景は、坂の上(地蔵坂上交差点)に着くまでに、いくつかの見どころを通過します。

山手公園エリアを通過後はじめのポイントは、本牧通りの上下線に通されたトンネル、山手隧道(ずいどう)と第二山手隧道の上にあたる部分です(以下、参考:横浜市公式サイト “山手隧道ものがたり“)。

山手隧道(上り本牧通りのトンネル)は、1927年(昭和3年)、関東大震災の復興事業の一環として作られた、本牧通り上り線側(石川町・関内方面)のトンネルです。桜道を上っていく場合、二番目に通過するトンネルです。

これに対して第二山手隧道(旧本牧隧道=下り本牧通りのトンネル)は、桜道を上っていく場合、最初に通過する山手地区最古のトンネルです。

1911年(明治44年)に横浜電気鉄道(後の横浜市電)用のトンネル=本牧隧道として掘削されたものが、1969年(昭和44年)の市電廃止と共に”第二山手隧道”となって、現在の下り本牧通りとなりました。

トンネル名に付された”第二”のナンバリングは、”元々は市電用のトンネルだったが、後に(=山手隧道が通された41年後に)一般道のトンネルとなった”という、一般道としての時系列順の序列に依っています。

ちなみに隧道とはトンネルの事ですが、以下、隧道=トンネルとして続けます。

まずは山手地区最古のトンネルである、第二山手トンネル上を通過します。この道をまっすぐ進むと山手警察や旧マイカル本牧方面、桜並木のある道へと向かいます。

更に先へ進むと今度は山手トンネル付近を通過しますが、

ここには橋=桜道橋が架けられていて、橋上からは進行方向右手に山手トンネルの入り口を臨めます。

桜道橋

桜道橋は、山手トンネルと共に、関東大震災からの復興事業で作られた橋です。

山手トンネル共々、横浜市認定歴史的建造物に指定(山手トンネルは2001年、桜道橋は2004年)されている他、2015年には「元町・山手地区の震災復興施設群」として、共に土木学会選奨土木遺産(公式サイト)に認定されています。

ちなみに土木学会選奨土木遺産は、同じ神奈川県内では江ノ電も受賞している賞です。

桜道橋前交差点

桜道橋を渡ると、すぐのところに山手本通りへの抜け道があります(桜道橋前交差点)。

車以外であれば、桜道橋前からの右折で山手本通りのイタリア山庭園付近に抜けられる他、この道の途中から山手公園方面への右折もできます。

JR根岸線との交差/地蔵坂公園

桜道橋を渡ってさらにまっすぐ進むと、桜道はJR根岸線の線路上を通ります。写真奥が山手駅方面、手前が石川町駅方面です。

このあたりまでくると地蔵坂上交差点もすぐそこですが、

地蔵坂上交差点手前には、地蔵坂の名前を冠した地蔵坂公園があります。ちょっとした休憩に適していそうな普通の公園で、

関東大震災の復興期からの由緒もありますが、

公園内には珍しい雨水桝も残されています。

この道をさらに直進すると地蔵坂を下り、JR石川町駅の傍を通過し、さらに横浜スタジアム付近へと抜けていきます。

交差点で直交している通りは山手本通りで、西洋館エリアは右方向です。

アクセス

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