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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/鶴ヶ城周辺の史跡5】遠藤十次郎記念碑と鶴ヶ城の桜

東北/信越青春18きっぷ旅

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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/鶴ヶ城周辺の史跡5】遠藤十次郎記念碑と鶴ヶ城の桜

遠藤十次郎記念碑

現在の鶴ヶ城公式サイト)は四季折々の風情が楽しめる、会津若松市のシンボルとなっていますが、特に春は桜の名所であることでも親しまれています。

“美しく咲いて潔く散る”という、現世への執着を超越した崇高な精神を求めているともとれるのが、典型的な武士の理想像の一つです。死に急ぐでもなく、かといって死を恐れているのでもない、人として正しく生きることを至上の目的としているのだという、その昔の会津藩でいうところの”什の掟”や、佐賀鍋島藩で伝え読まれてきた”葉隠”などが根底にあるような武士道イメージですね。

参考:会津藩校日新館什の掟“、さがの歴史文化お宝帳葉隠とその教え“、佐賀県公式サイト “葉隠

このイメージが”華やかでどこか儚い桜の開花”に重ねられることによって、今では”花は桜木人は武士”という古き良き日本的な美への賛辞が呈されて久しい、そういわれているのをしばしば見かけると感じるところもあるのですが、元々会津藩統治時代の鶴ヶ城には桜はほとんど咲いていませんでした(城内ではなく、お城の周辺に十数本あった程度だったと言われています)。

というよりは、概して、その昔の武士にとっては必ずしも”花は桜木人は武士”ではなかったようで、むしろ”早く散る=縁起が悪い”ととられていた節もあったようです。

しかし時代が変わればモノの見方捉え方も当然変わる、今ではそれらが重ね合わせて見られるようになったということで、この辺りは時代であり社会に強く影響される部分が出てくるのでしょう。

旧・会津藩領においては、”時代の節目”は明治の終わり(明治41年=1908年)に訪れました。

会津松平家よりお城の整備・管理を任されていた旧会津藩士の遠藤十次郎さんが、三の丸エリアに陸軍歩兵第65連隊の演習場が設置されたことを記念し、同志と共に鶴ヶ城内外に1000本のソメイヨシノの桜苗を植樹します。

このことが大きなきっかけとなる形で、以降の鶴ヶ城は、桜の名所としての成長を始めることとなりました。

余談として、1000本のソメイヨシノの桜苗で鶴ヶ城に彩りを添えた遠藤十次郎さんはまた、磐梯山噴火後の裏磐梯の緑化事業に尽力した人物でもあるようですが、2014年(平成26年)、これらの業績が称えらる形で、鶴ヶ城三の丸エリアに記念碑が設置されました。

参考:一般財団法人 会津若松市公園緑地協会 『鶴ヶ城公園のいしぶみ』(平成28年5月26日)

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