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【東北・信越青春18きっぷ旅/只見線乗車その5】会津川口駅出発後、夕方の只見線沿線
奥会津の雪景色とJR只見線
JR只見線・会津川口駅を出発後、電車は引き続き絶景の中、只見川沿いを進みます。
「どこか湖のほとりのようにも見える、山間の絶景を見ながら進む」のは、只見川沿いを走る只見線からの車窓風景の特長ですが、中でも会津川口駅については只見線の絶景区間のちょうど真ん中付近に位置しているので、まさにそれらの風景が佳境にある状態ですね。
とはいえ、特に冬場の運行の場合、夏場に比べると日が短いこともあって、日中でも15時を過ぎると山間の川沿いに位置する線路沿いの風景には、ぼちぼち日影が目立つようになってきます。
日影が目立つというよりは、日に照らされる場所が徐々に減って来るという感じですね。
会津川口駅の先で第五只見川橋梁を通過し、次の停車駅である本名駅の先では東北電力の本名ダム横を通過するという形で相変わらず絶景の中を行くことにはなるのですが、”まさに日中の沿線風景”とはやや趣向が異なって来ます。
色鮮やかさに息をのむような絶景が続くというよりは、幻想的なモノトーン調の風景の中に、所々日を浴びたカラーの世界が戻って来る、といった感じですか。
第五只見川橋梁を通過後、電車はほどなく本名ダム傍へ。
ダムの背後に控えた山々の向こうに、今まさに日が隠れようとしている時間帯ですが、
どこか色彩が単調になりはじめた風景をそれでもドラマチックに見せている故は、やはり晴天時にも溶け切らずに残っている残雪ですね。物寂しいといえば物寂しさが感じられるものの、山肌が雪で白く色づき、木々がそれを微かに覆い隠している様子など、その手前を流れる川の様子と相まって、中々に絵心を刺激してくる感傷的な風景となっています。
“只見線の絶景エリア”、いわゆる奥会津地方に入って以降ボチボチ見かけるようになってきた雪景色は、西に進めば進んだだけさらに深くなってくるのですが、
新潟県との県境では国内有数の豪雪地帯である魚沼地方(参考:津南町と魚沼地方)に隣接しているということからも察せられるように、奥会津もまた国内有数の豪雪地帯です。
どうやら会津の積雪の本番は1月2月あたりだということらしく、豪雪地帯の奥会津でも、12月末の時点では”降るには降っているし、積もるには積もっている”という状態でした。
しかしこの程よい積雪が車窓の向こうの風景の彩を変えてくれていることもまた事実で、会津川口駅到着以前とはまた違った味わいの”エモさ”を感じさせてくれます。
恐らくは豪雪地帯の厳しい冬がその理由となっているのであろう、年代物の駅名標を持つ会津大塩駅へ。
時が夕刻となると”華のある景色が、日没によって徐々に暗闇の中へ”を連想させるあたり、侘び寂び的な魅力も沿線の景観を盛り上げてくれるようになってきますが、会津大塩駅のある金山町では、全国でも珍しい、天然の炭酸水が湧く井戸があるようです(福島県観光情報サイト “大塩天然炭酸水“)。
さらに進んで、次の停車駅である会津塩沢駅へ(参考:只見線ポータルサイト “会津塩沢駅“)。
会津大塩駅・会津塩沢駅間には、旧会津藩(参考:会津若松・鶴ヶ城)との間に奥羽越列藩同盟の結ぶ同盟関係を持ち、かつ共に戊辰戦争を戦ったという越後長岡藩家老・河井継之助終焉の地(墓・記念館 –只見町公式サイト-)が残されています。
河井継之助は司馬遼太郎さんの長編小説『峠』の主人公としても有名ですが、記念館(公式サイト)はJR長岡駅傍にもあります。幕末の偉人の一人ですね。
会津塩沢駅から第八只見川橋梁を経て、会津蒲生駅へ。
会津で蒲生と来れば”会津藩藩主・蒲生氏郷”に結びつけて考えたくなるところではありますが、”会津蒲生”の地名の由来は、蒲生氏郷を輩出した蒲生家にあるとするものや”蒲の葉”にあるとするものなど、諸説が混在しているようです。
雪はさらに深まって、
会津蒲生駅着。
会津塩沢駅・会津蒲生駅の駅間(路線の北部)には”会津のマッターホルン”と呼ばれている蒲生岳がありますが、会津蒲生駅はその登山口の最寄り駅に当たります。
新調されている駅名標が、蒲生岳の人気のほどを物語っているようでもありますね。
さらに低くなった日の下、電車は相変わらず”只見線一流”といった絶景の中を進みますが、
会津蒲生駅を出発した電車は路線名と同じ名前を持つ、JR只見駅へ。
JR只見駅の先には、只見線の中では会津若松の市街地にほど近いところに位置していた会津坂本駅付近以来続いて来た只見川との並走区間も、只見駅の南側に位置する只見湖や田子倉湖エリアで終了です。
絶景区間もボチボチ終了ですというエリアに入ってきたところですが、それ以上に、日照時間のタイムアップを感じさせる時間帯となってきました。