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【街歩きと横浜史】横浜毎日新聞が伝える、創刊当時の世相と鉄道開通

街歩きと横浜史

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【街歩きと横浜史】横浜毎日新聞が伝える、創刊当時の世相と鉄道開通

about 横浜毎日新聞

日本初の日刊新聞

横浜毎日新聞は、1871年(明治3年)に、日本で初めて発行された日刊新聞です(現在の毎日新聞とは異なる会社が発行した新聞です)。

現在、創刊を記念する碑(日刊新聞発祥の碑)が横浜市役所(みなとみらい線・馬車道駅下車)傍に置かれています。

 

創刊時の方針

横浜毎日新聞では、新聞創刊にあたっての方針として、新聞の専務(行うべき努め)を『市民中外貿易の基本を立て、皆自商法の活眼を開かしめん』ところにあると定義し、国内外の情報を取り上げると同時に『活眼』を啓発するための内容にしていきたいとしています。

いわゆる”大新聞“寄りにも見える、意欲的かつ硬派な方針が提示されているのですが、現在残されている紙面からの判断だと、金銀の両替相場や横浜港での貿易取引状況(商館で行われた売買の内容の他、輸出入品の相場など)、横浜港に入港している船の情報の他、現在の新聞でいうところの社会面に掲載されているような記事が目立っています。

例えば『阿片で破産した西洋人』の話題や、『居留地の火事』の話題、当時普仏戦争ではじめて使われたという『伝書バト活躍の話』、さらには『ザンギリ頭、トラ刈り騒動』(後述)など、当時の世相を思わせるような記事がボチボチ散見されるのですが、今につながる話題では、1872年、横浜・品川間に開通した日本初の鉄道の話題が、その前年に創刊された横浜毎日新聞の紙面でも、リアルタイムで追われています。

 

横浜毎日新聞が伝える、日本初の鉄道開通

鉄道敷設工事進む

明治4年8月8日付の記事では、横浜・東京双方から始められた工事のうち、横浜側からの工事が神奈川(旧東海道・神奈川宿付近)の先まで完成したことが報じられたほか、既に試運転が行われていた鉄道の速さについて『時計1ミニュト(minute)に七町余運転いたす。実に神速にして電信機の次に出す』と報じられています。

1町は約110メートルなので、7町は約770メートル、時速換算だと約46キロ(現在の京浜東北線や山手線の平均速度とほぼ同じです)に該当しますが、当時新たに出て来た乗り物である馬車の平均速度がおよそ時速10キロ程度だといわれているので、ほぼその4倍の速度に該当します。

現在の鉄道だと、在来線の最高速度がおよそ100キロ程度、これに対して新幹線の最高速度がおよそ300キロ程度なので、それ以上のギャップがあるということですね。

『実に神速にして』と例えられるのも無理のないところしょう。

同年8月17日には、日本初の鉄道敷設工事、試運転の区間が東子安村まで伸びた様子が報じられています。

 

横浜ー品川間に鉄道開通

翌明治5年(1873年)5月9日付の紙面では、『横浜ー品川間汽車が開通』として、横浜、品川双方より一日六便運行される汽車の時刻表と運賃表が掲載されています。

『今八日より鉄道列車左の刻限通六度御発車相成』として、横浜からは午前八字、九字、十字、午後二字、三字、四字、品川からは午前九字、十字、十一字、午後三字、四字、五字(”字”は原文ママ)、賃金表は上等片道一円五十銭、中等同一円、下等同五十銭とされています。

時刻表から察する分には、横浜始発の一編成が順次往復する形のダイヤが組まれているようですが、当時の鉄道は横浜・品川間を35分で結んでいたようです。現在であれば東海道線で20分弱の距離ですが、当時としては画期的な速度だったことでしょう。

 

ザンギリ頭、トラ刈り騒動

ザンギリ頭とは、”ちょんまげ”を結わない頭のことです。

鉄道開通年の前年(明治4年)、散髪脱刀令(国立公文書館ニュースヘアカットの日“)が布告されたことによって市井に”ザンギリ頭”が増え、このことが旧時代から新時代への移り変わりを象徴する一事となりました。

ただし、一重に「髷を結わなくとも良い」といわれたところで、現在の散髪事情を考えれば明白であるように、次には必然的に様々な髪型が登場する余地が生じます。

ということで、カッコイイ髪型があればそうでない髪型もあるという、”ザンギリ”の態様が問題になってくるのですが、明治4年4月17日付の横浜毎日新聞が報じた”ザンギリ頭、トラ刈り騒動”の記事では、当時はよくあったという”ザンギリ”にまるわる騒動が伝えられています。

とある士族がザンギリ頭にしようと散髪を試みたところ、「不慣れだから」ということで床屋の主人にそれを断られ、居合わせた自信満々の職人が代わりに刈ったところ、『不出来なること恰も小児の白雲天窓をはさみたるに髭髴(ほうふつ)たれば』という体のトラ刈り(不出来な散髪)になってしまった、この事に激怒した士族は、髪を切った職人を引き連れて床屋の主人を探し回り(士族の散髪中に逃げてしまったようです)、最終的には髪を切り直す代金を貰った上で騒動が収まったようです。

旧来より持ち合わせた美意識を新時代に対応させるべく颯爽と散髪に乗り込んだ誇り高き士族に対して、落語の”熊さん・八っつぁん”を連想させるようなお調子者の職人が口先三寸でいい加減な仕事をしてしまった、その結果旧時代そのままの顛末が用意されることになったという、今だからこそ笑える類の話しなのかもしれませんが、当時はこの手の”ザンギリ騒動”が良くあったようで、漫談のネタにもされていたようです。

漫談となると「チョキチョキと音をさせながら切るとうまく切っているように見えるからむやみやたらとチョキチョキ音をさせる、その動作が過ぎてお客さんの耳をチョキンと切ってしまうことがよくある。ひどいときは一日に3~4人の耳を切ってしまうこともある」と、さらにひどい内容になっているのですが 笑、漫談はともかく”ザンギリ騒動”自体については、もののはじめって往々にしてそんなことがよくあるものかもしれません。

ちなみに日本初の西洋理髪ということでは、散髪脱刀令の2年前(明治2年=1869年)に、現在の中華街大通りにて日本初の西洋理髪店が開業されていますが、山下公園内、および中華街大通りにはそれぞれ記念碑が置かれています(参考:“西洋理髪発祥の地”モニュメント)。

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