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【about みなとみらい線】横浜駅西口界隈の発展
about 横浜駅西口界隈
みなとみらい線/JR根岸線他の横浜駅西口界隈は、百貨店あり、量販店あり、専門店あり、各種ホテルあり、地下街あり、漫画喫茶あり、音楽スタジオあり、カラオケボックスあり、二次創作等の同人誌販売店あり、ファストフードあり、居酒屋・レストラン・ラーメン店も多数あり、なおかつ教育産業の激戦地でもあって、オフィス街や”夜の街”としての顔も持っています等々というように、旧来より横浜市民・神奈川県民の多々の需要に応えている、市内随一のカオスな色が個性となった一帯です。
「主に横浜が巨大都市に成長してしまったことを理由として、市の肝煎りで再整備(再開発)を進めることになった」という点は、みなとみらいエリア・横浜駅周辺エリア、双方が持つ共通した性格ですが、現在の横浜駅西口エリアに繋がるそもそものはじまりは、関東大震災後の横浜駅移転と、戦後の横浜駅周辺再開発にあります。
関東大震災後の復興事業によって横浜駅が現在地に移転した後(=三代目・横浜駅の開業後)、第二次世界大戦後の戦後復興によって、特に高度成長華やかなりし昭和30年代以降、現在の”西口”へと続く発展がスタートすることとなりました(参考:横浜市公式サイト “写真で振り返る西区の歴史“)。
元々は何もなかったところに全てが持ち込まれた結果、今となっては何でもありの”ごった煮”状態になった感が強いという、それはそれである意味とても横浜らしい一帯ではあるのですが、特にその雰囲気が色濃く残されているのが中央西口~みなみ西口方面にかけての一帯で、”横浜西口”的な繁華街の中心部には、パルナード通り(Instagram “#パルナード通り“)という通りが通されています。
余談として、現在の”横浜市西区”は1944年4月、中区の再編成によって、中区から分離する形で誕生しました(参考:横浜市公式サイト “区の変遷“)。震災から復興した”三代目横浜駅”が出来た頃(1928年=昭和3年)、現在の西区はまだ中区だったのですが、戦後昭和の発展と歩みを共にする現在の横浜駅西口界隈は、歴史的にも”横浜市西区”と共にある繁華街です。
参考:【横浜観光FAQ】横浜駅と観光地・横浜(ロケーション、距離、利便性、歴史)