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【開港都市・長崎の風景】オランダ坂(東山手エリア、西洋館沿いの坂道)

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【開港都市・長崎の風景】オランダ坂(東山手エリア、西洋館沿いの坂道)

長崎・山手の坂道と近代の足跡

オランダ坂(長崎市公式観光サイトオランダ坂“)は、長崎市中心部・東山手町の丘の上に向けて通された坂道です。

路面電車公式サイト)の石橋駅付近と、大浦海岸通駅~メディカルセンター駅間が結ばれています。

坂道沿いの風情には、開港都市・長崎らしい雰囲気が今も残されている一面がある一方、札幌市時計台、高知のはりまや橋と並ぶ”三大がっかり観光スポット”としてもなぜか有名な一帯となっています。

この点について思うところは最後にまとめるとして(そもそも記事化している時点で特にがっかりはしなかった、ということなのですが 笑)、以下、まずは石橋電停付近からの坂道沿いの風景をまとめました。

石橋電停付近から

オランダ坂の、石橋電停付近側の入口です。なんとなく作られたという感じの坂道ではなく、かなり角度のある、きつめの坂道であることが分かります。

オランダ坂の左側には長崎孔子廟の入口方向への道が伸びていますが、

そのまままっすぐ、オランダ坂へ。この坂名標の左側にも西洋館への細い道が伸びていますが、入り口付近にして、少なくとも観光客目線からだと、かなり風情のある坂道となっていることが感じ取れます(参考:オランダ坂付近の西洋館)。

坂道からの風景

坂道沿いからは周辺風景を楽しむことも出来ますが、黄色い屋根を持つ赤い建物は、オランダ坂に隣接する長崎孔子廟です。逆に孔子廟内からもオランダ坂方向を望むことが出来ます。

傾斜がキツいエリアを過ぎると、孔子廟が視界から隠れ、代わりに水色か、薄緑色のような独特の色をした西洋館が数棟(長崎市公式観光サイト東山手洋風住宅群“。正確には7棟です)、すぐ隣で視界に入って来ます。

これらの西洋館は全て1890年代頃に建築された二階建ての木造建築で、現在はそれぞれ東山手地区町並み保存センター、古写真・埋蔵資料館等として利用されています(参考:オランダ坂付近の西洋館)。

地震大国日本にあって、築130年を超えてなお、いわゆる”現住建造物”であり続けているという、中々脅威の西洋館ですね。

この付近からは、孔子廟の向こうに大浦天主堂公式サイト)を望むこともできるのですが、

大浦天主堂建設中の貴重な写真と共に、かつての様子を説明する長崎市公式のガイドが置かれています。

開港地と文教地区

幕末から明治初期にかけての開港地の史跡を巡った時、ほぼ100%の率で見かける史跡に、外国公館や交易関連施設、教会関係施設と文教施設があります(”跡”含む)。

大使館、公使館や領事館等外交使節の職場の跡があって、貿易関連施設の跡がある、そのことと並んで次に出てくるのが、彼らの信仰を支えた施設=教会と、さらには社会奉仕の跡、特に教育関連施設の跡ですね。

ということで、特にオランダ坂沿いについては外交使節の跡あり、教会跡ありで、かつ今でも文教地区の色が濃く残されています。

海星学園(中学・高校)

海星学園は、カトリックの男子修道会であるマリア会(公式サイト)が運営する学校法人で、1892年=明治25年に創立されました。

現在地には創設3年後の1895年=明治28年に移転したようですが、野球部がしばしば甲子園に出場することでも、お馴染みの学校ですね。

“マリア会が運営する学校である”という時点で、同じ開港地である横浜の山手地区に詳しい人であればピンと来る部分があるかもしれませんが、かつて西暦2000年(平成12年)まで横浜山手に存在した外国人学校、セント・ジョセフインターナショナルスクール(現在は観光スポットとして開放されている”ベーリックホール“を寄宿舎として使っていた時期がありました)と設立母体が同じだということで、”セント・ジョセフ”在りし日は同校と姉妹校の関係にあった学校です。

長崎東陵中学校跡地

現在、海星学園(中学・高校)がある地には、かつてカトリックの長崎教区が経営していた、長崎東陵中学校(現・長崎南山中学校・高等学校)もあったようです。

海星学園、南山学園両校の”沿革”によると、南山学園の校舎移転に伴う形で、海星学園が旧南山学園の敷地を買い取ったようです。

海星学園の入り口すぐ傍に記念碑が置かれています。

参考:海星学園公式サイト “校訓・沿革“、南山学園公式サイト “教育目標・沿革

旧イギリス領事館跡

現在、海星学園の入り口付近の一角は、ほぼ一か所に複数の史跡が残されているという”史跡渋滞”が発生しているような状態なのですが、前記した長崎東陵中学校跡地の碑の隣には、かつてここにイギリス領事館があったということを知らせる、長崎市公式の説明板が置かれています。

元々はイギリス領事館があった地に、領事館移転に伴って海星学園と長崎東陵中学校が設立された、ということのようです。

英国聖公会会堂跡

海星学園の入口付近で、オランダ坂は二手に分かれます。

石橋電停側を背にして左側に進む道が”オランダ坂”なのですが、”オランダ坂ではない”方の道沿いと、二本の分岐路に挟まれたエリアに史跡が多く残されています。

ということで、まずは”英国聖公会会堂跡”です。

英国聖公会とはイギリス国教会のことですが、1862年に日本で初めての聖公会の教会として竣工しました。

聖公会の会堂があったことは、”オランダ坂”の命名の由来にもつながっているようです。

曰く、日曜日ごとに教会に向かう外国人の姿があったことから、当時の外国人が付近の人たちから一様に”オランダさん”と呼ばれていたことと相まって、”オランダ坂”の坂名となったようです。

明治10年、東山手9番に開校したと書かれている”アンドレ神学校”は、後の出島英和学校・長崎神学校に繋がっていく学校で、当時使われていた校舎(西洋館)は現在も出島に残されています(参考:旧・出島神学校)。

明治12年、東山手3番に開校したと書かれている”十人女学校”とは、設立年次と当時の住所から、英国人女性宣教師、イライザ・グッドオールさんによって開設された”ガールズ・トレーニング・ホーム”(女子寄宿学校。後の長崎県立長崎高等女学校)のことであると思われます。

参考:長崎市公式観光サイトナガジン!長崎ハイカラ女子教育の歴史

三角溝

エリア一帯に文教地区としての色が残されている、という部分とは特に直接の関連がありませんが、幕末・明治期の外国人居留地でしばしば見かける特徴の一つに、上下水道や側溝など、インフラ整備の跡があるという点が挙げられます。

今見るとごくごく普通の溝に見えないこともないという三角の溝は、かつて居留地の水はけをよくするために作られたもので、長崎では今も南山手・東山手のいたるところに残されているという、特徴的なものでもあるようです。

オランダ坂沿いの他、孔子廟の周辺でも”三角溝”を見かけました。

余談ですが、横浜山手の旧・外国人居留地内では、桜道沿い元町公園内に、長崎でいうところの”三角溝”にあたる”ブラフ溝”が残されています(桜道沿いには現役の側溝が、元町公園内には遺構が、それぞれ残されています)。

活水女子大学

坂道沿い、大学への入口すぐ隣(向かって左側)にはオランダ坂へ戻る階段坂が用意されていますが、このままこの道を道なりに進んでいくと、”ご当地感満載”といった雰囲気の中で続く道沿いにはさらに幾つもの史跡が用意されています。

最終的には新地中華街に隣接する、”旧・唐人屋敷”(江戸時代の中国人居留地区です。参考:長崎市公式観光サイト “唐人屋敷跡“)エリアへと通じています。

坂道の大浦海岸通側入り口付近には”オランダ坂”の説明と並んで、現在の活水女子大学のルーツである活水女学校の説明が置かれています。

海星学園と並んでオランダ坂沿いに今も残る活水女子大学は、1879年=明治12年、アメリカ人女性宣教師・エリザベス・ラッセルさんによって設立された伝統校で、生徒一人の個人教室からスタートしました。

現在は中学・高校と共に、学校法人活水学院が運営しています。

公式サイトでもその点に触れられていますが、長崎の山手地区との間には、居留地時代以来の縁があるようです(参考:活水女子大学公式サイト “建学の精神・キリスト教教育・教育方針“)。

再びオランダ坂へ

石橋電停付近からオランダ坂を道なりに進んで海星学園前まで、そこから「付近の史跡を見ていこう」ということで、

オランダ坂とは別の坂道を選択して、

前記した幾つかの史跡をチェック後、

活水女子大の横に作られた階段坂を下って、

再びオランダ坂方向へ。

この階段坂と、オランダ坂、さらには海星学園前から伸びた”もう一つの坂道”で囲まれた三角地帯は、東山手甲十三番館や東山手十二番館など、西洋館が密集する一帯となっています(参考:オランダ坂付近の西洋館)。

石橋電停付近から活水女子大学付近まで、坂道周辺には今も近代の足跡がそこかしこに残されていますが、

そんなこんなで、再びオランダ坂に合流です。

オランダ坂・大浦海岸通側入り口付近

どちらからオランダ坂を上るのが順路通りとなるのかは定かではありませんが、路面電車のメディカルセンター駅と大浦海岸通駅の間に位置する交差点からオランダ坂へと向かうと、丁度坂道の入り口付近のところに、オランダ坂についての説明等々が置かれた一画があります。

“長崎県新観光百選の地”(日本百選 都道府県別データベース長崎県新観光百選“)、

“日本の道100選”(日本百選 都道府県別データベース日本の道100選“)、

冬鵙ふゆもずや 風が磨ける 石畳”は、鹿児島出身の俳人、大岳水一おおたけ すいいちろ路さんが東山手のオランダ坂を詠んだ句です。

“オランダ坂”の坂名標の少し先にあるのは、

東山手甲十三番館への入口で、

その向かい側には、”オランダ坂縁の学校”である活水女子大学の通用門が用意されています。

付近にはさらに、オランダ坂に限られない、東山手エリアの総合案内も置かれています。

何ゆえに”がっかり”? 本当に”がっかり”?

個人的にはオランダ坂ががっかり観光地だとは全く思わなかったのですが、思わなかった理由としては、歴史の跡が分かりやすく残されていたこと、石畳の坂道に特有の風情があったこと、かつての居留地時代の名残が今も微かに感じられたこと、周辺にも観光地化したスポットがあったこと、等々でしょうか。

路面電車の駅付近から始まる石畳の道に、数々の史跡、近代以降の時代の流れを感じさせる坂道からの風景と、むしろ逆にテンションが若干上がったような記憶があります 笑。

「これ、本当に、言うほど”がっかり”か?」みたいな感じですね。

逆に”がっかり評”の主なところを拾っていくと、地味だから、観光地的な魅力が(恐らくは近隣に位置するグラバー園や大浦天主堂などに比べてということなのでしょうが)わかりにくいから、歴史を感じる前に今現在の生活が感じられるから、等々といったところに落ち着いているようです。

わかるといえばわかる、様な気がしなくもない、といったところですか。

あとはもう少し根本的な部分として、オランダ坂はそもそも”がっかり”以前に幾つもの基準からオススメ観光地に挙げられているようなスポットでもあるので、訪問前に持っていた期待値とのギャップというのも、結構ある場合があるのでしょう。

わかるといえばわかる、けどやはり個人的には楽しめたという札幌市時計台同様、仮に微妙な評があったとしても、その機会があるのであれば実際に自分の目で見てみるに限るな、とは改めて感じました。

アクセス(オランダ坂、大浦海岸通側入り口付近)

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