【横浜街歩き/秋の横浜・バラと銀杏 その4】日本大通り・銀杏の紅葉

みなとみらい線沿線の四季

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【横浜街歩き/秋の横浜・バラと銀杏 その4】日本大通り・銀杏の紅葉

日本大通りの秋

山下公園通りから、交差点の横断歩道を渡り開港広場へ。丁度日本大通りの裏手にあたる一帯です。

多少時機を逸したせいもあってか、すぐ隣の日本大通りや、交差点向こうの山下公園通りほど華やかではありませんでしたが、やはり秋の終わりを感じさせられます。

落ち葉の様子を見る分には、まさに盛期であれば、雰囲気もそれなりだったのでしょう。

ちなみに開港広場では、秋と並んで春にも季節が感じられます。海岸教会横の桜が、見ごたえのあるものになるためですね。

そんな開港広場から開港資料館横を歩き、秋の日本大通りへ。

日本大通りは横浜の歴史が始まったエリアであり、成長・発展・挫折等々を共にしたエリアでもあるので、現在も通り沿いに数々のその足跡を残しています。

みなとみらい線の駅名はじめ、通称名、通りの名前としては「日本大通り」ですが、住所は「日本大通」です。ちょっとその辺ややこしいですね。

突き当りの象の鼻一帯は、まだ全国的には無名の寒村だった時代以来横浜の成長を支えた拠点(波止場)であり、その手前(写真右奥)にある開港資料館は、かつてイギリスの総領事館として機能していました。

日本大通り沿い、港郵便局の向かいにある旧横浜商工奨励館は、関東大震災被災からの(特に横浜の商工業界の)復興を図る目的で昭和四年(1929年)に建築され、現在は情報文化センターと銘打たれた多目的オフィスビルとなっています。

現在、海と反対側の突き当りには、言わずと知れた横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムがありますが、横浜スタジアムは横浜公園内に造られた野球場です。

横浜公園は元々「彼我公園」と呼ばれた、日本人と居留民のために造られた公園としてスタートしていますが、その彼我公園が造られた地には、日本大通りが出来るきっかけとなった幕末の大火(豚屋火事)以前、港崎遊郭(みよざきゆうかく)と呼ばれた遊郭が造られていました。

港崎遊郭は、開港地をどこにするかという(日本・列強間で)二転三転した問題で、強引に横浜に造ってしまった開港場を列強サイドに認めさせるために造られた遊郭だといわれています(もちろん、開港後に造られました)。

つまり、港崎遊郭在りし日の横浜には、まだ現在の日本大通りは存在しなかったということなのですが、大火後の横浜では、大火時の延焼防止機能も期待された日本大通りが新たに作られ、以降、この一帯が横浜・神奈川の都市機能の中枢部分を担っていくこととなります。

現在、日本大通り沿いに神奈川県庁(旧・神奈川運上所)があるのも、開港期以来の名残りです。

象の鼻や開港資料館付近から横浜公園側に進むにつれ紅葉が鮮やかになっていくのが分かりますが、

今回日本大通り沿いで一番鮮やかだったのは、日銀横浜支店前から横浜地裁前にかけての一帯でした。

左側の、車寄せのようなエントランスを持つ建物は、横浜地裁です。

 

アクセス:日本大通り

 

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