横浜街歩き

【横浜街歩き/日本大通りエリア】日本大通り

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【横浜街歩き/日本大通りエリア】日本大通り

エリアや駅名をいう場合は「日本大通り」、住所としては「日本大通」という微妙にややこしい一帯は、今現在も横浜・神奈川の行政機能の集約地であり、かつ観光地スポットとしてもしばしば名前が上がるエリアです。

2017年以降、春のガーデンネックレスが横浜の年中行事として定着しているので、会場の一つとなる日本大通りに春の楽しみが増えた他、2018年より毎週日曜日は日本大通りが歩行者天国となりました。現在は「マグカル解放区」として、定期的に路上ライブが開催されています(通常時であれば出演バンドの募集も行われていますが、2020年3月現在、新型コロナウイルス感染症対策として、イベントは中止されています)。

従来からの見どころとしては、秋になると見事な紅葉が見られる(山下公園通りから続いているようにも見える)銀杏並木の他、周辺には歴史的なスポット(横浜三塔、開港広場や旧英国総領事館、英一番館跡etc)をはじめ、大さん橋、象の鼻、さらには各種の「日本初」等々があり、横浜公園にも隣接しています。

 

「日本大通り」前の時代

開港当初、開港場・横浜の中心だったのが、波止場(現在の象の鼻付近に作られた「西波止場」)と共に作られた運上所です。

運上とは「運送上納」の略称ですが、神奈川運上所では、外交事務の他、関税業務が行われました。

現在、神奈川県庁の敷地内に跡地の記念碑が置かれています(碑は県庁舎に向かって敷地内左端、写真奥が県庁舎です)。

最初期の横浜港では、神奈川運上所を中心として、海側に向かって左側に日本人街、右側には外国人居留地が作られます。

なのですが、開港7年後の1866年(慶応二年)、俗に(火元となった豚肉料理屋・豚屋鉄五郎方の名を取って)「豚屋火事」と呼ばれる大火事が発生したことによって、当時の関内地区の2/3以上が消失します。

「豚屋火事」の生々しい証言記録は、日本側のみでなく、例えばイギリス人外交官であるアーネスト・サトウの証言をはじめ、外国人居留民側の記録にも多くが遺されていますが、行政・商業の中心地で発生した大火災は、必然的に周辺一帯の環境に大きな転換期をもたらしました。

そのひとつが、外国人居留地と日本人街の間に「延焼防止エリアを設けよう」との目的の元に作られた「大通り」である、日本大通りの誕生です。

中央車道12メートル、その左に3メートルの歩道、右に9メートルの植樹帯を持つという、当時の日本では最大級の幅員を持つ通りは、日本の近代街路の発祥にもなりました。

こののち、横浜はさらに関東大震災、横浜大空襲という二度の大災害、さらにはGHQによる接収という不運に見舞われることになるのですが、日本大通り界隈は、それらの時期を経てなお、開港以来横浜・神奈川の中枢機能を持たされ続けて今日に至ります。

 

現在の日本大通り界隈

みなとみらい線・日本大通り駅出口は、日本大通り沿いにあります。真正面が横浜公園・横浜スタジアム方面で、標識の少し下あたりに、新設された横浜スタジアムのウイング席が見えています。

この一帯は県下最大のお役所街の中心付近で、今現在も横浜版・霞が関的な機能を有しています。

通り沿いの建築物の中では恐らく一番知名度が高いであろう、神奈川県庁。

撮影日が3月11日(東日本大震災発生日)だったため、県庁には半旗が掲げられていました。

ちなみに神奈川県庁本庁舎は、横浜三塔のうち、「キングの塔」と呼ばれる建物です(日時限定で内部が公開されます)。

日本大通りを挟んで県庁の向かいにあるのは、横浜港郵便局。中区内で一番大きい局で、かつては通常営業時間外を含む、24時間の窓口対応をしていました。

港郵便局は、明治6年(1873年)に締結された日米郵便交換条約証書の取り決めによって、明治8年(1875年)にアメリカとの間に郵便業務が開始されたという、外国郵便の創業局でもあります。

その碑がちょうど「横浜港郵便局」の右斜め下、「郵便局 ゆうちょ銀行 かんぽ生命」の下に埋め込まれています。

港郵便局の並びでは、かつてイギリス総領事館だった建物が、現在横浜開港資料館として使われています。

当初イギリス総領事館跡は(現在、港の見える丘公園内にある)大佛次郎記念館になる計画もあったものの、「合わないだろう」ということで開港資料館となりました。

そんないきさつの詳細について、『都市ヨコハマ物語』で触れられています。

開港資料館の向こう側は、近代横浜、近代日本にとってのはじまりの地である開港広場、かつてペリーが上陸した一帯です。

開港広場前には、大さん橋方面、山下公園方面へと向かう道路が、開港広場横を通る道路、開港資料館前から伸びた道路に交差する、四差路の交差点があります。

開港資料館に向かって左側は、かつて西波止場があった一帯で、現在の象の鼻につながっていくエリアです。ちなみに「象の鼻」は、遊覧船乗り場のある山下公園エリア、現役の国際港である大さん橋と並んで、現在も遊覧船の発着が多いエリアです。

車道か、あるいは鉄道の高架橋のように見える橋ですが、現在「山下臨港線プロムナード」として、新港地区(赤レンガ手前まで)と山下公園が遊歩道で結ばれています。

日本大通り界隈からだと、大さん橋付近からプロムナードに入ることが出来ますが、かつての貨物支線である山下臨港線の路線跡が、観光資源として歩道に転用された形です。

ちなみに日本大通りの歩道自体も道幅が広く、歩きやすい通りになっています。

歩道には、ところどころにイラストが描かれたタイル。

県庁の向こう側には「クイーンの塔」横浜税関や、

「ジャックの塔」、横浜開港記念会館等があります。

現在は現在で様々なイベントが用意されていることも日本大通りエリアの特徴というか魅力ですが(2020年3月現在、新型コロナウイルス感染症対策のため、各種イベントは中止や自粛が決められています)、新旧が混在するのもまた、日本大通りエリアの特徴の一つです。

神奈川県庁のはす向かい、かつ港郵便局の向かいにある建物には、現在横浜情報文化センターが入居していますが、元々は昭和4年(1929年)に横浜商工会議所が建てた横浜商工奨励館として、商工会議所の産業貿易センター移転(1975年)まで使われていました。

旧横浜商工奨励館は、現在、横浜市認定歴史的建造物に指定されています。

右が旧商工奨励館、左が港郵便局、直進方向が元町中華街駅入り口方面(元町商店街のオブジェがある、元町入口付近)で、みなとみらい線はこの通りのほぼ真下に通されています。

「商工奨励館」の日本大通りを挟んだ向かいは、「電信創業の地」。

明治二年(1869年)、この地にあった横浜電信局と東京電信局との間で、日本初の電報の取り扱いが行われました。

「電信創業の地」碑は横浜地検前にあり、

横浜地検の隣には、横浜地裁、横浜簡裁があります。

ちなみに地裁の裏手の通り沿い(下写真右側奥の区画、横浜地検の裏手あたり)には神奈川県の弁護士会館があって、この一帯は神奈川県下の法曹の中心地となっています。

横浜地裁敷地内に置かれた、関東大震災の慰霊碑。横浜市内所々にある慰霊碑は、ここにもおかれています。

地裁・簡裁のとなりには、日銀の横浜支店があります。

役割分担の詳細はわかりませんが、発券業務市中銀行との取引など、ざっくり見るかぎり支店でもほぼ本店同様の(いかにも日銀というような)業務が行われているようです。

ちなみに、日銀横浜支店も通常時は見学可能です。

日本大通りを挟んで、これら現役官庁が林立する向かい側に建てられているのが、現在「KN日本大通ビル」と呼ばれている、旧三井物産横浜支店ビルです(明治44年=1911年竣工)。

戦前を代表するオフィスビルであり、日本初の全鉄筋コンクリート造りのビルだったようです。

さて、そんな日本大通りを陸側に向かって端まで歩くと、横浜スタジアムのある横浜公園の手前まで来ます。

そんな好ロケーションに位置しているのが、ベイスターズにとっての「横浜スポーツタウン構想」の拠点となる、”The BAYS”というアンテナショップ的なお店です。⠀

“The BAYS”は、ベイスターズの公式グッズをそのまま販売する形のお店ではなくて(公式グッズの販売店は、横浜公園内とランドマークプラザにあります)、プロスポーツ球団としての試験的な取り組みを発信していく拠点になっています。

関東財務局・横浜財務事務所の建物として使われていたものが、同事務所の横浜第二合同庁舎=旧生糸検査所の建物の横、高層階部分への移転に伴い、”The BAYS”として生まれ変わりました。

「発信」拠点の戦略的な部分を担っているのは2階、1階には雑貨屋さん”lifestyle shop +B”とカフェ&バー”Boulevard Cafe &9″があります。⠀

横浜公園側から。

 

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