【横浜街歩き/元町中華街エリア】山下公園

元町・中華街エリア

この記事を読むのに必要な時間は約 5 分24秒です。

【横浜街歩き/元町中華街エリア】山下公園

最寄り駅はみなとみらい線の元町中華街駅ですが、同じみなとみらい線の日本大通り駅やJR根岸線の関内駅や石川町駅からも徒歩圏内にある、現在の横浜を代表する公園の一つです。

 

石のステージ/水の階段/世界の広場

元町中華街駅前(元町口)方向から向かう場合、港の見える丘公園フランス山地区入り口側から入ると信号を通過せずに山下公園まで歩くことが出来ます。

丘公園・フランス山を出た後でまず最初に渡るのが、フランス橋(昭和59年=1984年開通)という陸橋です。首都高の下に、首都高と交差する形で通されています。

フランス橋は山下公園通り前・人形の家横まで続くバイパスとなっていて、陸側には元町中華街駅駅前の道路が、海側には山下ふ頭方面・ベイブリッジが臨めます。

人形の家前を経由して、山下公園通り上にかかっているのはポーリン橋。山下公園通り沿い唯一の陸橋で、昭和61年に完成しました。渡りきると山下公園・世界の広場エリアに入ります。

ポーリン橋上からの風景は、紅葉の季節の人気撮影スポットです。

橋上からの風景を目当てにポーリン橋を訪れる人がどの位いるのかはわかりませんが、紅葉の時期にこの橋を渡る人は、かなりの高率で立ち止まって写真を撮っています。

橋を渡りきると山下公園です。

公園内へは世界の広場から水の階段を降りて、石のステージ、お祭り広場へと進みますが、眼下にある山下公園の向こうにはみなとみらいの高層ビル群が臨めます。

“水の階段”から”石のステージ”へ。

解体を待つ深海魚が斜めに吊るされたようにも見えますね。

ちなみに毎年春は、この一帯は桜が咲き誇る一帯ともなります。

平地部分からのぱっと見だと行き止まりっぽくも見えるのですが、春は桜が楽しめ、かつ紅葉や新緑の季節にも「映え」スポット(ポーリン橋)を有した一帯です。

 

お祭り広場

山下公園内、マリンタワーの向かいあたりのエリアは”お祭り広場”と呼ばれていて、その名の通り、屋外にあるイベントスペースとして機能します。

イベント開催時には人でごった返すことも珍しくありませんが、普段は割と閑散としています。

「お祭り広場」から石のステージ方向。

観光船乗り場方面への道が舗装されていますが、ここからベンチのある海沿いへと歩いていけます。

元町側から山下公園に入った場合、この一帯を過ぎて、それっぽいエリアに入ります。

 

未来のバラ園/中央広場

“お祭り広場”の隣は沈殿花壇である未来のバラ園。毎年初夏と秋の終わりは、バラがとても華やかです。

毎年春、山下公園名物である枝垂桜が咲き誇るのもこの一帯です。

2017年以降は春の”ガーデンネックレス“が年中行事として定着したことから、港の見える丘公園などと並び、より春の訪れを楽しめる公園となりました。

山下公園前を通る山下公園通りの「中央口」、通りむこうの並びにはホテルニューグランドやマリンタワーなど。今昔の横浜を代表するエリアです。

中華街の東門付近からまっすぐ歩くとたどり着く入り口でもありますが、真正面には水の守護神像、氷川丸が臨めます。山下公園の代名詞的な一帯ですね。

早朝から昼間にかけての山下公園の雰囲気も良いですが、夜景は夜景でまた映えます。

ニューグランドとマリンタワーを背景に。

“水の守護神像”と氷川丸。

 

 

芝生広場

「赤い靴はいてた女の子」像がある、芝生と花壇で作られたエリアです。海側であればベンチからの風景が、山下公園通り側であれば芝生の上での時間が、それぞれ昼夜とも楽しめます。

中央部にある、あかいくつ履いてた女の子像。

家庭の事情から外国人宣教師に託された「赤い靴を履いた少女」が横浜から海外へ渡航していったという、どこかもの悲しさを伴う「実話に基づいた物語」は動揺としても歌われ、山下公園には像が遺されています。

なのですが、実は「赤い靴履いてた女の子」の話しは、そもそも「女の子の海外への渡航」の有無や「赤い靴を履いていたか否か」など、話しの根幹にかかわる部分について泥沼化した論争があるようです。

赤い靴の少女が実際に海外へ渡航したのだとすれば、少女像から伝わって来るどこかもの悲しいイメージはホームシックから来るのだろうと考えるのが自然ですが、おそらくはそれが一般的なイメージでしょう(小さい女の子が一人で海外は寂しいよね、というような)。

そんな一般的イメージに対し、「赤い靴」の女の子はそもそも両親と離れた後、海外渡航を前にして国内で結核で亡くなってしまったため、海外へ渡航したわけではなかったのだ、赤い靴も履いていなかったのだという有力説があるってことですね。

仮に後者が真実であった場合。

遠い異国に思いをはせたまま日本で亡くなった女の子が、「自分が行くはずだった海の向こうの国」に思いをはせた姿こそ、「赤い靴の女の子」像がまとったどこか物悲しい、寂し気なイメージの理由なんだとなります。

「異人さんにつれられて行っちゃった」と言い切っている動揺が描いていた世界は全て吹っ飛んでしまうわけですが、ちょっと、おいおい、って感じですね。

ただし、双方の説を並べた上でここに「あかいくつ履いてた女の子像」があるのだという事実を解釈した場合、「女の子が海外へ渡航できなかった」と捉えた方が絵になるようにも思えてくるんです。

「本当は海外へ行きたかった、でも行けなかった」という話しであれば、「赤い靴履いてた女の子」は、そもそも海外渡航に夢と希望を持っていたという話しになる、「開港〇〇周年」と、150周年以降毎年やっている付近一帯のノリとも親和性抜群になってくるんですね。

文明開化華やかなりし時代、本当のところ女の子は赤い靴履いてウキウキだったのかもしれませんよね。

そんな風に捉えた上で、改めて「女の子像」を見てみると、「は~、海外行きたかったなぁ・・・」なんて言っているようにも見えて・・・来ませんかね?

本当のところはさておき、仮に女の子が渡航できなかった場合でも、その魂だけは海外にいる宣教師さんのもとに無事行けたのではないかな、などと思っています。

そんな「赤い靴履いてた女の子」像がある一帯は、現役の国際港を間近に見据え、平日休日を問わず多くの人が訪れる一帯となっています。

明治二年(1869年)、日本初の西洋理髪店が開業された地(=西洋理髪発祥の地)であることを記念した像”ザンギリ”が置かれているのも、この一帯です。

 

 

インド水塔周辺

“水塔”は、関東大震災時に被災したインド人を救済したことに対して、山下公園造成後に、インド側からの返礼として贈られました。

山下公園の西端にあたり、大さん橋/開港広場エリアに隣接する水塔付近では、しばしば大道芸などの路上パフォーマンスが行われています。

そのまま公園を出ると開港広場が近いですが、公園の出口付近には陸橋で大さん橋・象の鼻方面へと向かう”山下臨港線プロムナード”の入り口があります。

 

アクセス

Googleマップの基本的な使用法

 

タイトルとURLをコピーしました