元町・中華街エリア

【横浜街歩き/元町中華街エリア】横浜外国人墓地

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【横浜街歩き/元町中華街エリア】横浜外国人墓地

外国人墓地資料館

ときは幕末、1854年(嘉永7年)のペリー来航時。

ペリーの艦隊が日本に寄港した後の事故によって死亡した艦隊の水兵を葬るためとして、ペリーによって「海の見える墓地」が望まれたことから、同年より横浜における外国人墓地の歴史が始まりました。

当初元町界隈にあった増徳院(関東大震災による被災後、現在の南区平楽に移転)の一部が外国人墓地として使われたのち、現在の山手本通り沿い・元町公園の隣に移転・拡張されます。

公式サイトによると、移転・拡張は1861~1866年にかけてのことだったようです。

写真に写る通り沿いの向こう側(丘の斜面部分)がほぼ全て現在の外国人墓地の敷地で、中央付近に写るのが正門です。写真右方向にあるアメリカ山公園を出て、割とすぐのところに位置します。

正門は外国人墓地の入り口で、公式パンフレットには山手大門と記載がありますが、現在の門の前には一代前の門があります。

公式サイトで”旧山手門“とされている一代前の正門は、近代横浜にいくつもの西洋建築を残したJ.H.モーガンの作で、現在も門柱部分については”モーガン作”がほぼそのまま残されています。

かつての門扉部分は戦時体制のあおりを受ける形で解体され、その後現在の形になったとのこと。

現在の正門には、先代の門扉に似せて作られた門扉が後付けされていますが、彫刻を施されていたというかつての門扉の方が見た目豪華に見えます。

ちなみに、J.H.モーガンさん設計の建築物は、外国人墓地の正門の他、山手111番館、横浜山手聖公会、ベーリックホールなど、現在もいくつか山手地区に残されています。

モーガンさん自身は現在この山手の外国人墓地に眠られていて、港の見える丘公園内の山手111番館では、モーガンさんの遺品や関連資料を常設展示しています。

さて、そんな正門(山手大門)の隣にある小さな門をくぐると

外国人墓地の資料館前に出ます。

資料館では、外国人墓地自体の沿革や、横浜市内の他外国人墓地の歴史について触れたプレート等が展示されていますが、展示された内容によると、横浜市内には横浜外国人墓地の他、根岸外国人墓地、中華義荘(=南京墓地)、英連邦戦没者墓地等、市内中心部とその付近だけでも複数の外国人墓地があるようです。

資料館内、最上部が半円になった三面の窓枠。

窓外すぐのところから。眼下には墓地が広がります。

 

外国人墓地内

資料館横のスペース眼下に広がった外国人墓地は、土日・祝祭日であれば墓地内を見学することが出来ます。

明治期の鉄道敷設に功績のあった外国人も、8名が横浜山手に眠っています。

JR桜木町駅前にも記念碑(プレート)がある、エドモンド・モレルさんのお墓。

“日本初の外国人タレント”ともいわれる英国籍のオーストラリア人噺家、快楽亭ブラックさんのお墓。

快楽亭ブラックさんは、父親であるジョン.R.ブラックさんの隣に眠られているようです。

ジョン・R・ブラックさんは日本で活躍したジャーナリストで、ジャパン・ヘラルド(1861年=文久元年11月23日創刊)で編集=主筆を務めたのち、日新真事誌(1872年=明治5年3月創刊)を創刊しました。

ジャパンヘラルドは日本初の英字新聞として、日真真事誌は近代日本の新聞の創世期に発刊され、後の自由民権運動につながる「民選議院設立建白書」を掲載(1874年=明治7年)したことで、それぞれ有名となった新聞です。

モレルさん、ブラックさん父子の他、時世にのまれる形で客死した生麦事件の犠牲者、アメリカに日本の桜を広めたエリザ・シドモアさん、関東大震災の外国人被災者なども、ここに眠っています。

この他、外国人墓地内には、”安政の五か国条約”締結相手国となった各国(アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・ロシア)の記念碑や、今は無き施設の遺物等も置かれています。

2000年(平成12年)に廃校となった、セント・ジョセフ・インターナショナルカレッジのマリア像。

 

開園情報

施設名 開園日・開園時間 入場料
横浜外国人墓地 墓地内見学:2~7月、9月~12月の土日祝祭日(雨天時以外)、12:00~16:00
墓地手前まで:毎週月曜日以外の10:00~17:00
墓地内見学の場合:200円~300円(墓地内地図付き。施設の維持管理費用として)

 

アクセス

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