【鎌倉街歩き/秋の鎌倉御朱印巡り】”鎌倉五山”浄智寺

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【鎌倉街歩き/秋の鎌倉御朱印巡り】”鎌倉五山”浄智寺

鎌倉五山第四位・浄智寺まで秋の鎌倉街歩き

「縁切寺」東慶寺と同じ道沿いすぐとなりにあるのが、鎌倉・江の島七福神の布袋尊であり、かつ鎌倉五山・第四位の浄智寺です。

浄智寺は、第二回の元寇(1281年の弘安の役)後に出家・死去した北条宗政を弔うためとして、宗政の夫人と実子によって創建されました。

お隣・東慶寺のどこかこじんまりとした境内の優しい華やかさと比較すると、程よい広さの境内に純朴、素朴な魅力が光るというような、いかにも鎌倉風といった魅力が浄智寺からは伝わって来ます。

浄智寺、総門付近から。

駅近で、さらにはバス通りの近くに位置しているのですが、総門に向かうと「山の中のお寺」感が強いのも浄智寺の特徴です。

総門に入った地点から。

由緒に対して「らしさ」を感じる雰囲気が、今でも浄智寺には残されています。

山門へ。

山門をくぐると、一帯では紅葉が華やかに色づいています。

浄智寺で祀られた北条宗政は、鎌倉幕府第五代執権・北条時頼の三男であり、第八代執権・北条時宗の実弟だったという、盛期の鎌倉幕府にあって、権力の中枢にいた人物にあたります。

浄智寺を創建した宗政夫人は第七代執権・北条政村の娘、宗政の実子は第十代執権・北条師時(もろとき)だったこととも併せて、当時の日本の支配階層である北条一族の内輪の事情から出てきたといえるのが浄智寺でした。

「宗政と浄智寺」の部分について、宗政は弘安の役で戦死したわけではなく、弘安の役後、出家して死去しました。

元寇での戦勝という慶事の後のまさかの不幸が、親族一同に強い衝撃を与えたであろうことは想像に難くありません。

元寇という国難を乗り切った当時の日本にあって、予期せぬ悲しみに見舞われた北条氏(妻と実子)は、弘安の役と同じ1281年、急逝した宗政のため浄智寺を創建しました。

現在そんな浄智寺には、鎌倉五山第四位としての一面の他、鎌倉江の島七福神の一軒としての一面もあります。

境内やや奥にある、”鎌倉江の島七福神”の布袋尊。

遠目からもなんとなくわかりますが、近寄ってみてみるとお腹が黒光りしていることがはっきりわかります。

布袋尊のお腹を触ると元気をもらえる(だから触っていってくださいね!)という、かつての住職さんの発案でこうなったようです。

 

 

浄智寺・御朱印

浄智寺・アクセス

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