スポンサーリンク

横浜中華街の歩き方(元町中華街駅からの食べ歩き。中華街大通り、関帝廟通り)

横浜中華街

この記事を読むのに必要な時間は約 8 分58秒です。

横浜中華街の歩き方(元町中華街駅からの食べ歩き。中華街大通り、関帝廟通り)

about 横浜中華街

横浜中華街と街歩きプラン

横浜中華街(公式サイト)観光にあたって、特に「中華街は初めて」「中華街には滅多に行かない」というような閲覧者の方の来訪を想定して、別記事にまとめました。

プランの一助になれば幸いです。

【横浜観光FAQ】横浜中華街と街歩きプラン(食べ歩き、お土産選び、etc)

about 中華料理

点心や飲茶、さらには四大中華料理や八大中華料理の区分について、別記事にてまとめました。

【横浜観光FAQ】横浜中華街と中華料理(点心・飲茶、四大中華料理と八大中華料理)

簡易横浜中華街史

旧・中国人居留地と”横浜の南京町”

横浜開港時、”安政の五か国条約“締結相手国の居留民の中国人通訳(厳密には”買弁ばいべん”と呼ばれた仲介商人)たちや、欧米人の下で下働きをするため来日していた中国人たちは、列強の居留民同様に、日本国内における生活拠点=居留地を必要とします。

列強にとっての本命条約であった”修好通商条約”が締結されたことによって、中国人居留民たちもまた、日本国内に外交・交易を推進するための生活拠点を必要としたためですね。

【横浜観光FAQ/簡易中華街史その1】旧・中国人居留地と”横浜の南京町”

20世紀の国際情勢と横浜の”南京町”

戦後ほどなくして華僑たちの母国・中国では、当時の中国大陸の二大勢力だった国民党と共産党が、内戦状態(第二次国共内戦、1945年~1949年)に突入します。

【横浜観光FAQ/簡易中華街史その2】20世紀の国際情勢と横浜の”南京町”

戦後横浜の”南京町”と横浜中華街

第二次世界大戦終戦後、横浜の”南京町”では”台湾支持派”と”大陸支持派”の対立が激化し、その争いは中華学校の分裂(台湾系の横浜中華学院が現在の中華街に残留し、大陸系の横浜山手中華学校は中華街の外へと移転します)をもたらします。

その後も激しい対立が継続した後で、1990年の関帝廟設立をきっかけとして双方が協調関係を築き上げていくこととなるのですが、華僑たちの生活が長らくに渡って日本に定着してきたことや、台湾支持派が台湾出身者に限られなかったこと、さらには日中国交正常化を機として日本への帰化者が増加したことや”中国ブーム”が到来したことなど、”きな臭さ”を解消するに足るだけの材料が多々生まれたことも、現在の”横浜中華街”を作り上げるに足る土台となりました。

【横浜観光FAQ/簡易中華街史その3】戦後横浜の”南京町”と横浜中華街

”昔”の中華街と、今の中華街

89年の年末には日経平均が史上最高値を記録するなど、日本経済の好況もピークを迎えるのですが、90年代に入るとほどなく”バブル”が崩壊します(91年)。

以降、日本経済は”失われた〇〇年”と呼ばれる低迷期に突入していくことになるのですが、横浜中華街もそのあおりを受ける形で、90年代に入ると空き店舗が目立つようになりました。

この時に中華街の空き店舗を埋めていったのが、後に中華街名物となる”占い”です。

“占い”という商売自体が(飲食店に比べると)景気に左右されづらく、かつ元手もそれほどかからないということで、”不景気”を逆手に取る形で浸透し、やがて新たな中華街名物へと成長を遂げることとなったのですが、90年代以降の横浜中華街では、この一事に象徴されるような根本的な変化も起こっていました。

【横浜観光FAQ/簡易中華街史その4】”昔”の中華街と、今の中華街

横浜中華街で最初に押さえておきたい牌坊と道

地形把握のためのポイント

横浜中華街内には”知っておくとより楽しめる”というような場所は色々ありますが、”まずは地形を把握してしまいたい”と考えた時、およそ最初に抑えておくべき場所は限られてきます。

特に山下公園側、元町中華街駅の山下町口付近からスタートすることを想定した場合、個人的に挙げておきたいのは以下の4つのポイントです。

1.朝陽門と中華街大通りの位置関係を覚える

2.中華街大通りの善隣門と、長安道の位置関係(特に関帝廟通りの方向)を覚える

3.長安道沿い・地久門の位置と、関帝廟通りの位置関係をそこにつなげて

4.最後に関帝廟通りの端・天長門と南門シルクロードの位置関係を抑えておく

「まずは中華街の真ん中で”斜め”に傾いている長方形(=中華街中心部)の、真ん中(=一番繁盛している)部分を抑えてしまおう!」という、肝の部分の要所ですね。

JR根岸線石川町駅側から中華街に入る場合は、

5.JR石川町駅の中華街口(中華街西陽門)から中華街の西門(延平門)へのルート、

6.中華街の西門(延平門)から中華街大通りの善隣門へのルート(西門通り)、

以上二本の(石川町駅で下車後、1.中華街口=西陽門から西門、2.西門から善隣門を目指す)ルートを追加する必要がありますが、西陽門から西門、西門から善隣門へはほぼ道なりに進むことが出来るので、目的地をきちんとつかんでさえいれば、そこまで混乱することはないだろうと思います。

最後にまとめとしてもう少し絞って、”この一点だけ”ということであれば、中華街内でまず最初に覚えるべきは善隣門の位置です。

その次に中華街大通り、合わせて長安道という順で進めてもいいのではないかと思いますが、どこで迷ったとしてもさしあたり善隣門に着くことさえ出来れば、そこがほぼ中華街のど真ん中にあたるスポットなので、後は上記1~4、もしくは5・6を頭の中に入れておくことで、およその地形は把握することができます。

以下、まずは上記1~4を中心として記事を進めます。

朝陽門(中華街東門)付近

朝陽門

横浜中華街の東門・朝陽門ロケーション)は、中華街の北端に通された開港道の起点であり、かつ中華街大通り傍に位置しています。

みなとみらい線元町中華街駅元町口傍にかかる谷戸橋付近からまっすぐ伸びたバス通りに面していて、東門からバス通りに対して垂直に伸びた通りは山下公園中央口付近中央口交差点)と結ばれていますが、元町・中華街駅での出口選択時の注意点としては、“中華街口“ではなく”山下町口“の方が朝陽門に近いことが挙げられます。

現在東門=朝陽門の真下には、文化庁が作成した、明治初期=1880年のこの付近の様子を説明したプレートが展示されているほか、

開港道南門シルクロードの交差点傍には、”Chinatown 80 Hall”(横浜中華街公式サイト “インフォメーション・センター「ChinaTown80」“)と名付けられたインフォメーションセンターが用意されています。

“Chinatown 80 Hall”は、中華街の案内人である”横浜中華街コンシェルジュ”(参考:横浜中華街公式サイト “コンシェルジュメンバーの紹介“。中華街内のお店のスタッフなどで構成されています)の専任スタッフが常駐し、パンフレットなども取り揃えてあるという、中華街に特化した観光案内所ですね(ATM、外貨両替機の利用も可能です)。

現地にて何か不安に感じることがあった場合、元プランにもう一声が欲しくなった場合、何はともあれ目指してみるのも一興かもしれません。

コンシェルジュのメンバーはインフォメーションセンターの他、大型のお土産屋さんにも常駐しています(参考:横浜中華街コンシェルジュ・横浜博覧会公式サイト横浜大世界公式サイト)。

開港道

開港道かいこうどうは、横浜中華街(公式サイト)の東門(朝陽門)から加賀町警察署北交差点まで続く、中華街の北端に通された通りですが、開港道沿い、東門のすぐ傍には、中華街大通り南門シルクロードとの交差点があります。

やや変則的な交差点で、開港道、中華街大通り、南門シルクロードがほぼ一点で交わる三叉路となっています。

開港道は北西方向に、中華街大通りは南西方向に、南門シルクロードは南方向にそれぞれ伸びていますが、東門を背にした場合、正面が中華街大通り、左が南門シルクロード、右が開港道です。

開港道について:開港道(中華街東門傍から大さん橋通り方面へ)

中華街大通り

東門を入ってほぼすぐのところから始まっているのが、横浜中華街のメインストリートである中華街大通りです。

東門の傍から、長安道との交差点である善隣門まで続いていますが、善隣門の外側では”斜めに傾いた中華街の西端に通された道”である長安道と直行している他、二本の道(北門通り、西門通り)ともつながる五差路が形成されています。

地形把握の際ポイントとなるのは、東門、開港道との分岐、善隣門長安道です。

中華街大通りについて:中華街大通り(横浜中華街のメインストリート)

長安道へ

善隣門

東門=朝陽門側から中華街大通りをまっすぐ歩いていくと、やがて善隣門に到着します。

門の扁額(へんがく)には「親仁善隣」とありますが、これは『春秋』(中国・春秋時代の思想家・孔子がしたためた書)の解説書である『春秋左氏伝』から引かれた言葉で、「隣の家や隣の国の人と仲良くすることが、国にとって何より大切なことだ」といったところを意味しています。

横浜=日本にある中華街で掲げられた言葉だという点からは、特に日本にとっての中国(かつての中華民国、現在であれば特に台湾系の人々)、中国にとっての日本が、この場合の”隣国”であり”隣人”に該当しますが、“親仁善隣”の言葉が掲げられた善隣門は、現在も中華街にとってとても大切な門だと判断されているようです。

外側には現在の中華街の牌楼の原則通り、”中華街”と表記されています。

豆知識として、善隣門は昭和30年=1955年に”牌楼門”として作られたことにルーツがありますが、かつての善隣門=牌楼門の扁額には、”中華街”と記されていました。この”中華街”表記を境として、それまで”南京町”と呼ばれていた横浜の中国人街は、以降”(横浜)中華街”と呼ばれるようになっていきます。

中華街大通りはここまでで、前記したように門の外には長安道などが通っています。

善隣門と長安道

善隣門の前は、1・2.長安道(善隣門前で左右に伸びた通り)、3.中華街大通り(善隣門奥)、4.西門通り(善隣門を背にして左斜め前に伸びた通り)、5.北門通り(善隣門を背にして右斜め前に伸びた通り)、以上5本の道が一点で交差する五差路になっています。

この交差点から善隣門を背にして長安道を左手に進むと、関帝廟通り方向へ向かいます。

参考:長安道(堀川・西の橋付近から中華街内・開港道へ)

長安道と地久門

長安道沿いに作られた地久門は、関帝廟通りの入り口に当たります。

関帝廟通り

“関帝廟通り”の命名は、通り沿いに関帝廟があることに由来しています。

中華街大通りに並行するように通された通りで、道沿いには関帝廟や“日本国新聞発祥の地”記念碑山下町公園“日本のフットボール発祥の地”記念碑などがあります。

長安道沿いの地久門から、南門シルクロード沿いの天長門まで続きます。

参考:関帝廟通り(地久門・天長門間、道沿いに横浜関帝廟)

南門シルクロード

南門シルクロード

南門シルクロードは、横浜中華街の東門(朝陽門)付近から南門(朱雀門)に向かって伸びた道で、中華街大通り関帝廟通りという、中華街内の二本の大通りに直交しています。

中央付近には、関帝廟通りとの境目に天長門が作られています。

道沿いには媽祖廟公式サイト)もあり、近隣に位置する元町商店街公式サイト)とは前田橋で結ばれていますが、ここ最近の傾向として、通り沿いには食べ歩き系のお店が増えているようです。人通りも車の量も多いので、ドライバー・歩行者共通行注意!な通りです。

朱雀門

朱雀門(中華街南門)は、南門シルクロードの元町側の端点です。

元町商店街方向とは、”MOTOMACHI”表記の下に通されている前田橋で繋がっています。

その他の主な道・門etc

別記事に移転しました。

参考:【横浜観光FAQ/グルメ・さんぽ】覚えておくと”より横浜中華街が分かりやすくなる”道と門

タイトルとURLをコピーしました