【横浜街歩き/元町中華街エリア】横浜中華街の歩き方

元町・中華街エリア

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【横浜街歩き/元町中華街エリア】横浜中華街の歩き方

簡易版・中華街の歴史

現在の中華街は、横浜の開港と共に、中国人通訳の人たちが住む街として始まります。

元々は、横浜中心部を代表するグルメタウン的な街としてではなく、あくまでも華僑が住む街として成長・発展を遂げた後、戦後昭和の高度成長期以降、現在の「観光地・観光スポットとしての中華街」の形に近づくような成長が始まったようです。

1955年には現在の中華街の門である牌楼が建築され、1964年には根岸線・石川町駅が開通、1972年には横浜市電が全廃されたことで人の流れに根本的な変化が生じますが、同年は日中の国交が正常化された年でもあったことから、中華街にとっては大きなプラスとなります。

その後1980年代中盤になるとバブル景気が発生し、00年代に入ると2004年にはみなとみらい線が開通してさらに利便性が高まることに伴い、中華街の知名度はさらに高まりました。

・・・等々といった感じで、中華街の公式サイトには、コラム形式で中華街の歴史がまとめられています。

 

中華街内・押さえておきたいスポット・道

中華街東門(朝陽門)

元町商店街・オブジェ付近から伸びたバス通りに面しているのが、中華街東門(朝陽門)です。

みなとみらい線の元町中華街駅(山下町口)で降りた後、一番近い中華街の門がこの朝陽門なのですが、注意点としては「中華街口」ではなく「山下町口」の方が近いというあたりが挙げられます。そこまで離れているわけではないですが、若干距離が変わるので、多少の注意は必要かもしれません。

ちなみにこの通りは、一本で山下公園の入り口前交差点と結ばれています。

中華街に造られた門は牌坊(はいぼう)といい、それぞれ外側には「中華街」、内側には門の名前が記されていますが、東門=朝陽門の場合は外側に向かって「中華街」、内側に向かって「朝陽門」と表記されています。⠀

朝陽門の内側から、山下公園方面。


ちなみに中華街では東西南北をはじめとした全10基の牌坊があって、域内の繁栄が祈念されています。

概して「わかりにくい」と言われる中華街の地理についてですが、10基の牌坊=門のうちのいくつかと、以下にまとめる大きい通りを4本ほど(中華街大通り、長安道、関帝廟通り、南門シルクロード)覚えておくと、さしあたりかなり歩きやすくなります。

 

中華街大通り

中華街の東門=朝陽門を入ってすぐのところから、老舗店や有名店が軒を並べている中華街大通りが始まっています。「すしざんまい」看板の左側に通された道がそうです。

右側に伸びた道は「開港道」で、通り沿いにはローズホテル重慶飯店「あかいくつ号」乗り場「中華街」バス停)などがありますが、直進すると大さん橋通り、日本大通りへと向かいます。

中華街大通りの入り口左手には、崎陽軒のシウマイバー。比較的新しいお店です。後述しますが、シウマイバー左側に伸びた道は、南門シルクロードと名づけられた道です。

さて、「中華街は全くのはじめて」というような場合。

一番最初に覚えておくと歩きやすくなる道が、この中華街大通りです。

「元町中華街駅山下町口、朝陽門(東門)、中華街大通り」の三点を覚えておくだけでもある程度中華街が楽しめるのですが、名物グルメにエンタメ要素が加味されたような、最初の目的地(かつ、以降の定番目的地)としてお勧めな通りですね。

道沿いには、華正樓

中華街最古のレストランである聘珍楼など老舗名物店の他、

横浜博覧館(お土産、花文字、カフェ、「ベビースターランド」等)、

チャイナスクエア(手相占い、水族館、レストラン等)など、観光要素の濃い施設も用意されています。

このほか、小籠包やゴマ団子などの食べ歩きが出来たり(有名な王府井の他にもいくつかお店があります)、中華街大通りに並行するように通された関帝廟通りへのつなぎ路地となっている、それぞれ

市場通り

香港路

中山路

等に抜けることも出来ます(全て、関帝廟通りと繋がっています)。

目当てのお店での食事がすんだ(でもまだ多少お腹が空いている)、あるいは用が済んだ後でちょっとぶらぶらしてみようか、などと言うときに面白いお店が見つかるかもしれない、「定番以外の楽しみ方をしてみたい」欲求が満たされる可能性もある一帯ですね。

そういう変化球も中華街大通りには用意されているということなのですが、「はじめて中華街」や「中華街での時間を手堅く当てに行きたい」場合のイチ押しとなる、中華街のメインストリートが中華街大通りです。

 

善隣門と玄武門

東門=朝陽門側から中華街大通りをまっすぐ歩いていくと、やがて中華街大通りの端点に造られた善隣門に行き当たります。

「親仁善隣」とありますが、『春秋』(中国・春秋時代の思想家・孔子がしたためた書)の解説書である『春秋左氏伝』から引かれた、「隣の家や隣の国の人と仲良くすることが、国にとって何より大切なことだ」といったところを意味する言葉です。

横浜=日本にある中華街で掲げられた言葉だという点からは、特に日本にとっての中国(かつての中華民国、現在であれば台湾系の人々ということになるでしょうか)、中国にとっての日本といった意味合いですね。

占領統治期、日本国内で超法規的存在だったGHQを相手取って体を張り、日本のために尽力した政治家・笹川良一さんの名言「世界は一家、人類皆兄弟」に近いものを感じますが、現在も中華街にとってはとても大切な門だと判断されているようです。

この善隣門は、横浜公園傍、玄武門から中華街に入った場合の道との交差点に位置する門でもあります。

善隣門から玄武門までは結構距離があるのですが(ハマスタから中華街までは、なんだかんだで多少歩くことになるのですが、とも言えますね)、

一本の道なので迷うことはありませんし、球場で盛り上がった勢いそのままであれば、距離自体もさほど感じないでしょう。

シーズン中、スタジアムでベイスターズ戦がある日は、ベイスターズ・対戦チームのユニフォームを着た来訪客でにぎわうのも、中華街の日常風景です。

門の向こうには横浜スタジアムの外野席も見えていますが、玄武門の丁度向こう側は、横浜公園内の彼我庭園です。すぐ前に通されている通りは大さん橋通りで、右側に直進すると開港広場前の交差点、更にその向こうには大さん橋があります。

ハマスタから玄武門を通って中華街を目指す場合、ここを直進すると善隣門です。

下写真左の門が善隣門です。

 

長安道

善隣門の前は、1.玄武門から伸びた道、2&3.長安道(手前から奥へ)、4.中華街大通り、5.西門通りが一点で交差する、五差路になっています。

上の写真でいうと、写真中央左から右上に通された道が長安道、善隣門の向こうが中華街大通り、写真右下から右方向に伸びた道が西門通り、真下に通された道が玄武門方面に伸びた道です。

ここから、中華街大通りに並行して通された関帝廟通りへ向かうには、長安道を下写真正面方向へ進みます(中華街大通りは左側、右手に伸びた道は西門通り)。

長安道を、関帝廟通り方面へ。雑貨屋さんがあり、ぼちぼちレストランがあり、という感じの通りですが、

道沿いには、横浜中華学院(台湾系の中国人学校)の関係者専用入り口もあります。

横浜中華学院は孫文(1919年に結成された、中国国民党の初代代表)来日時に創立され、明治半ばより同地に存在しているという伝統校で、現在は台湾系の幼稚園~高校が置かれているようです(付近にはもう一校、横浜山手中華学校という大陸系の学校もあります)。

 

関帝廟通り

関帝廟通りは、中華街大通りに比べるとにぎやかさはやや控えめとなりますが、中々人通りが多い通りです。ただひたすら観光地然としている大通りに比べると、雑貨やさんや、若干ですが地域住民の生活感なども目立つのが特徴でしょうか。

道沿いに建てられた赤い電柱なども印象的ですが、

歩道脇には、「日本国新聞発祥の地」記念碑が置かれています。

幕末にはじまる開国期、異国文化と共に、従来の日本にはなかったメディア(=情報伝達媒体)も流入することとなったのですが、中華街の関帝廟通りに置かれているのは「日本国内では、ここで初めて新聞が作られた」ことを記念する碑です。

これより先、新しいメディアである新聞が、従来流通していた瓦版にとって代わって行くことになるんですね。

「日本国新聞発祥之地」記念碑は、英字新聞の邦訳新聞である「海外新聞」発行(1864年)を記念してのもので、編集者であったジョセフ彦(浜田彦蔵)の記念会によって1994年に設置されました。

ちなみに、最近市役所の新市庁舎敷地内に「日刊新聞発祥の地」記念碑が再建されましたが、日本で初めて新聞が発行されてからしばしの後、日刊新聞が発行されたことを記念して造られた碑です。

現在の毎日新聞とは別の媒体である「横浜毎日新聞」発行(1871年)を記念して、日本新聞協会が碑を置きました。

関帝廟通りを歩いていくと、突き当りにある横浜大世界が徐々に近づいてくるのが分かりますが、

関帝廟通りを歩ききる少し手前のところにある山下町公園(かつて清国や中華民国の総領事館がここに置かれていました)には、「日本のフットボール発祥の地」碑が置かれています。

山下町公園自体は、中華街で歩き疲れた場合に一休みできる程度の、落ち着いた小さな公園なのですが、中に入ってみると・・・

南門シルクロード沿いにある、媽祖廟の裏手に位置していることが分かります。残念ながら山下町公園側から媽祖廟に入ることは出来ず、門も関係者専用となっています。

公園内から、関帝廟通り方面。

山下町公園は、関帝廟通りの端点付近にあります。南門シルクロードとの交差点に造られた天長門、そのすぐ向こうにある横浜大世界もすぐ傍です。

 

関帝廟

さて、通りの名前になっている関帝廟ですが、長安道側から関帝廟通りへ入ると、割とすぐのところに位置しています。

開港直後の1862年、関羽の像が供えられた小さな祠が建立されたことがはじまりとなり、以降、日々の暮らしの安寧や商売繁盛を願う華僑の心の拠りどころとなっていきます。

やがて1871年、華僑たちの募金によって本格的な關帝廟が建立されました。

二代目の関帝廟は関東大震災後に、三代目の関帝廟は太平洋戦争後にそれぞれ建立されますが、現在の関帝廟は1986年の火災後、1990年に再建された4代目のものにあたります。商人の守り神だったという関羽存命時の逸話が引き継がれる形で、商売繁盛が祈念されています。

関帝廟は横浜にだけあるというわけではないのもポイントのうちで、例えば日本だと函館や長崎といった他開港都市にも造られているのをはじめ、国内各所や世界各地の中華街に造られています。⠀

 

 

南門シルクロード

下写真の左手方向が朝陽門(山下公園)方向、中華街大通りは右手に位置していますが、真正面に伸びた道が南門シルクロードです。

朝陽門から入って中華街大通り方面に進む場合、南門シルクロードは左手方向に位置していますが、南門シルクロードの反対側の端点である朱雀門(中華街南門)を通り、元町商店街の霧笛楼まで、まっすぐ一本の道でつながっています。

関帝廟通りは、丁度横浜大世界(お土産、花文字、天心の屋台、占い、足裏マッサージなど)前から長安道に交差する形で伸びていますが、横浜大世界前にあるのが(下写真の)天長門です。

南門シルクロード沿い、横浜大世界付近から撮った下写真正面が朝陽門方面で、

同じく横浜大世界付近から撮った、下写真正面が元町商店街方面です。

南門シルクロード自体は、メインとなっている横浜大世界と媽祖廟の他、中華レストランがぼちぼち、雑貨屋さんもぼちぼち、手相占いもぼちぼちという中華街でよく見かける風景の中にリブマックスやオリーブスパがあるなど、「ビジネス街の傍」みたいな雰囲気も多少ですが醸しています。

ちなみに南門シルクロードをまっすぐ歩いていくと、朱雀門(中華街南門)を通って中華街から出たほぼすぐのところ、橋の向こうが元町商店街です。

媽祖廟(後述)を過ぎると、ほどなく南門シルクロードの端点である朱雀門へ。

朱雀門の向こうに”MOTOMACHI”表記が見えます。

朱雀門も、外側からは「中華街」の表記です。

朱雀門から元町方向へ伸びた道、突き当りはT字路で、T字路すぐ傍にはフランス料理の霧笛楼があります。

かつてということであれば、関東大震災前まで「元町百段」と呼ばれた名物階段が通されていたのが、大体現在の朱雀門や前田橋付近だったようです。

 

媽祖廟

媽祖廟は、南門シルクロード沿い、朱雀門の近くに位置しています。すぐ裏手が山下町公園です。


⠀「媽祖(まそ)」は航海の守護神として崇められている中国の女神様で、中国の神様の中でも最高位の神とされています。⠀

開港期には関帝廟内に媽祖廟が置かれ、現在の山下町公園内に清国領事館・中華民国領事館があった時代には、敷地内に天后(=媽祖の別号)宮が置かれました。⠀

かなり時代は飛びますが、その後横浜開港150年の節目に、現在の媽祖廟として再建されたということのようです。

 

 

まとめ

もし中華街の地形をわかりにくいと感じた場合は、1.まず最初に朝陽門と中華街大通り(必要に応じて元町中華街駅の山下町口)の位置関係を覚えてしまって、2.次に善隣門(朝陽門と同じく中華街大通りの門)・玄武門(中華街・ハマスタ側の門)・長安道の位置関係を覚えてしまう、3.さらに地久門・関帝廟通り・天長門の位置関係をそこにつなげて、4.最後に南門シルクロードを抑えておくと、とりあえずの地形は把握しやすいと思います。

もちろん、4→1と逆から進めてもいいのですが、要は「中華街の真ん中の長方形を抑えてしまおう!」という方法がお勧めです。

今回の記事が、記事を読んでくださった皆様にとって、何かのお役に立てれば幸いですということで、中華街関係の記事については、今後も機会があればぼちぼち更新していく予定です。

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